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平成28年度連携講座 : 平成28年度 第9回連携講座
投稿者 : 事務局 投稿日時: 2017-10-27 14:24:29 (142 ヒット)

平成28年度 静岡大学岳陵会 連携講座 第9回

 

 

日 時  2016125日(月)1430分~1550

会 場  静岡大学 人文社会科学部 大講義室

受講生  180

講 師  城田 国昭 様   大阪府職員(危機管理室防災企画課 課長補佐)

        (人文27回  法学科  平成7年卒)

        

演 題   現代社会の変容とキャリア形成 」

卒業から21年を振り返って想うこと~

 

はじめに

皆さんこんにちは!(学生 こんにちは!)今、ご紹介に預かりました、人文学部法学科27回(平成7年)卒業の城田国昭と申します。現在は大阪府の職員をしております。この4月から「危機管理室」という部署で働いております。

 私、生まれも育ちも大阪なんで、イントネーションなどは関西弁です。ただ、ちょっと標準語っぽくしゃべりたいと思ってますので、違和感あるかもしれません。今日お話ししたいことはこちらです。

第一章 大学生活

第二章 今の職業に就いた理由

第三章 公務員の仕事

第四章 キャリアを通じて伝えたいこと(まとめ)

おわりに 大阪府のPR 

この順番でお話しさせて頂きます。90分よろしくお願いします。

 

第一章 大学生活

関西の国公立大学法学部を落ちて、静岡に。「めっちゃ楽しい」学生生活

静岡大学、第一希望だったという方もいらっしゃいますかと思いますが、私は違いまして、生まれも育ちも大阪やから、関西には結構大学あるんですね。で法律を勉強したかったんですが、法学部も結構ありました。でおしゃれな街というイメージのある神戸。神戸にある大学に行きたくて一年間浪人したんですが、だめで、関西の私立も受かったんですが、私たち、五教科勉強してきたじゃないですか、で三教科勉強して入れるところにいくのも腹立つなあと思いまして、で静岡大学に来させてもらいました。

 

この中で、静岡出身の方ってどれくらいいますか(半分ぐらい手が上がる)

有難うございます。そうですか、じゃ始めに謝ります。静岡出身の方ごめんなさい。実は私静岡ってあまりいいイメージなかったんです。入学した平成3年当時は、今からちょうど25年前になりますけど、Jリーグもまだ始まっていなくて今ほどサッカーもメジャーではなくて、私の静岡のイメージは、富士山とお茶とみかん、という感じでした。(笑)静岡に行くために、新大阪駅で新幹線待ってる時にめっちゃ寂しい気持ちで、、、コブクロの歌詞みたいな「寂寞の想い」のような感じになりました。

 ただ、静岡大学で四年間すごして、ほんま最高に楽しかったです。

 学歴のコンプレックスってよく言われますけど、たまに大阪では、静岡大学?私立?とか言われたりしたこともありますが(笑)、コンプレックスはほとんどなかったです。

静岡に居てる時は当然静岡大学が一番。で、関西に帰っても、いろいろあったんですけど、僕ほど学生時代楽しかったって思っている学生は関西におらへんのとちゃうのかなって思ってました。だから全然コンプレックスはなかったです。今の仕事も学歴ってあまり関係ない職場なので。

 

自分に自信を持てる人間になるために。「よかった探し」

静岡大学に決めて、大学生活4年間楽しもうって思ったのですが、もともと僕には二つのモットーがありました。

ひとつが「自分に自信を持てる人間になりたい」。それともう一つが、「よかった探し」です。なるべくこの二つの言葉を意識して、生きてきました。

 今も顔赤いかもしれませんが、赤面症がひどくて、小学校や中学校の時、授業中当たったら顔が真っ赤になって緊張してしまうような、そんな人間でした。

だからなんでも頑張ってやって、それを人に認めてもらってそれが自分の自信に繋がるように、今日みたいにみんなの前でしゃべっても自信をもっていられるようになりたいと思っていました。

 それともう一つが「よかった探し」。昔、みなさん方の世代ですと知らないと思いますが、日曜日の夜7時にハウス名作劇場というアニメがやっていまして、その一つの「ポリアンナ物語」を家族そろって観ていました。少女アニメなんですけど(笑)妹が居るので。その主人公の女の子がお父さんと生き別れて、よその人に引き取られていじめられるっていう話。その女の子がお父さんの言葉をずっと胸に思い出して生きていて、その言葉が「よかった探し」なんです。

何か嫌なことがあっても、「〇〇でよかった」って思えるように、ポジティブに考える。そうやってけなげに暮らしていく。それを見て私もどんな時でも、前向きに思うようにしようって心がけています。嫌な仕事でもやらないといけない、それなら前向きに楽しんでやろうと。

 

片山寮

 大学内にある片山寮にいました。この講座の第6回に登壇したお弁当屋の三宅君は、私の一年下で、ま、卒業したのはもっと遅くなったみたいですが(笑)、三宅君、(講義当日、事務局書記として参加)片山寮のことは話したの?(三宅「はい、多少話しました」)そうですか。この中に片山寮にいる子はいますか?(数人手が上がる)片山寮は男女が暮らしていて、いろんな行事があって、ドライブに連れて行ってもらったり。先輩に富士山はじめ、いろんなところに連れてってもらった記憶があります。

 

アルバイト

 片山寮の仲間と一緒に「サンマリオ」というレストランバーで4年間働いていました。夕方6時から入って朝の3時まで。カウンターの中でシェイカー振ったりしていました。あとは家庭教師。夏は大浜公園のプールの監視員。後は短期でショーパブみたいなお店でウェイターやったり、バイトも楽しんでいました。

 

サークル

「ホットチューン」というイベントサークルにも入りまして、ちょうどバブルが弾けた頃(1991年頃)だったのですが、まだこれから景気があがるんじゃないか?ってみんなが思っていた時代で、東京ではジュリアナ東京、静岡でもディスコが二か所あるような時代でした。ダンスパティーの企画書を書いて、企業を廻って、協賛金や賞品を出してもらってディスコを借り切ってパーティを皆で楽しむ、ということをやっていました。パーティでは僕らもショータイムでダンスを披露したりして楽しんでいました。夜中に大学構内でサークルのメンバーでダンスの練習をして、静大や短大の学園祭のときにはステージでダンスショーをやったのも思い出です。

 

ゼミ

 民法の平野先生のゼミに所属して、その頃施行されたPL法(製造物責任法)について勉強していました。早稲田大学のゼミとの箱根での夏合宿をして他大学の学生とのディベートなどもしていました。ゼミのメンバーとは今でも年一回集まります。25年経ちますけどね。

 

静岡の環境

 富士山はきれいやし、富士五湖ええし。伊豆も御前崎もあるし。ほんま素敵な自然に恵まれていて、特に富士山は、片山寮から登呂の方に行くときの富士見台あたりからバックミラー越しに見える夕焼けに染まった赤富士。合宿でクルマの免許をすぐとって、実家から持ってきた大阪の和泉ナンバーのクルマ(笑)。乗り回してました。程よい大きさの静岡の繁華街。東京や大阪と違って丁度ええ大きさで、夜に遊びに行って朝帰りしていましたね(笑)。

一年生の冬に片山寮に同じく住んでいた子と付き合い出して、よく富士五湖などにドライブに行ってましたね。そのときの可愛い彼女が今の怖いかみさんになってますけども(笑)。

 

やり残したこと

 今振り返ると一つだけ後悔があります。それはあまり本を読んでなかったこと。本を読んで、もっと言葉、語彙を知っておけば、と思います。家族でクイズ番組などを見ていても、家内は工学部出身のくせに(笑)自分より言葉を知っていて、子どもはお母さんの方が賢いって、思ってますからね(笑)。今の仕事でも、もっと言葉を知っていれば政策立案や議会の答弁書などももっと重みのあるものができるんと違うかな、って思います。

 

第二章 今の職業に就いた理由

弁護士になりたくて

夢を持って法学科に来ました。それは弁護士になることです。二年生までは遊んで、三年生から勉強をしようと思ってました。二年間勉強したら弁護士受かるんじゃないかと甘い気持ちで。三年生になった時、勉強しようと思っててんけど、言い訳ですけどバイトも忙しくなるし彼女も浜松で遠距離になるし、サークルも後輩から様子見に来てくれと言われると断りきれなくて。この中で法学科の人ってどのぐらいいてます?(だいぶ手が上がる)そうですか。当時は四宮和夫先生の分厚い「民法総則」。絶対読もうと思って枕元に置いていたんですが。あれは、読みだして何行かですぐ寝れます(会場大笑)全然1ページ目から進まない感じで二年間が過ぎました。

司法試験を目指していたので、当然就職活動もしてませんでしたが、法学科の友人に誘われ、大阪の堺市役所だけ受けたんです。一夜漬けで勉強して。公務員なんか受かるやろって思って。しかし面接では志望動機すら明確に答えられませんでした。その時は「公務員なら楽やろう、仕事5時に終わって、その後司法試験の勉強もできるんとちゃうか」みたいな考えでした。面接での受け答えもしどろもどろで。当然不合格。

 

卒業後は一転してプー太郎生活

 卒業後は家庭教師、日雇いのガードマン、建設現場、引越、工場作業、大丸での物流の作業などのアルバイトで食いつなぎ、法律試験の受験予備校に通いながら司法試験合格を本気で目指していました。最初は根拠なく「ちょっと勉強すりゃ受かるだろ」と思ってたんですが、なかなか周り見ても受かる人いなくって。でも頑張って朝8時から夜10時まで予備校の自習室に籠って勉強を続けてました。年一回の試験を5回、5年間に渡って勉強とアルバイトしながら合格を目指す生活。気づいたらすでに28歳になっていました。「どうしようか…。もうかなりの年齢やし、やりたいこと他にないし…。彼女ともずっと付き合っているし…。」初めてヤバいなという、将来に対しての背筋の凍る思いがよぎりました。

 

 「自分がやりたい仕事」から「自分が向いている仕事」へ

 ハローワークに通ったりもしましたがなかなか、やりたい仕事も見つからない。仮に見つかったとしても、この歳で、全く社会人経験もないような人間を雇ってくれる職場もないやろうと思って。僕が人事担当者だったらそんなプー太郎してきた奴よりもフレッシュな新卒を採用するだろう、と思います。                 

職業を考える中で、まず「自分がやりたい仕事」よりも「自分に向いている仕事」を考えよう思いました。自分ってどんな人間かなって考えたときに、学生時にアルバイト先のレストランバーの店長から言われた、「城田は、店に来たお客さんに最初に接してほしい」って言われた言葉を思い出したんです。僕ね、大阪出身なんですけど、話がおもしろくないです。こうして皆さんに話していてもオチもないし、面白い話できないんです。関西弁なんですけどね(笑)。だから自分には接客業みたいなのは向いてないって勝手に思ってたんです。けど当時の先輩や店長から城田はパッと見た第一印象ええよ、って言われたり、司法試験の勉強を一緒にしていた友達から、役場の窓口で人に接する仕事が向いているよって言われたことを思い出したりして。

皆さんの中にはまだ自分がどんな仕事に向いているのかわからない人もいるかと思いますが、そういう時は他人からの評価を一度聞いてみるといいかもしれません。

 

人の役に立てる仕事を求めて

 結局、目指していた弁護士以上に、「この仕事がしたい」という職業はありませんでした。しかし「人の役に立ちたい」という思いは強く、地方公務員というのがええんかなと思いました。人の生活の360度に関わる「いろんな仕事」を経験できると思ったんです。あと、法律の勉強が活かせること、29歳まで受験資格のあったこと、そして何よりも故郷で愛着のある大阪府であること。それで大阪府の行政職を受験しました。 ほんまに子供たちが健やかに育つ大阪の街のた


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