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平成28年度連携講座 : 平成28年年度 第11回連携講座
投稿者 : 事務局 投稿日時: 2017-11-10 12:28:54 (76 ヒット)

平成28年度 静岡大学岳陵会 連携講座 第11回

 

日  時  20161219日(月) 1430分~1555

会  場  静岡大学 人文社会科学部 大講義室

参加人数  180

講  師  浅倉 三男 様     塩水港精糖株式会社 前社長

        文理学部 第16回 法学科 1968年(昭和433月)卒

 

演  題  「 指導者らとの出会いと私の社長キヤリア形成

         ~ あなたは、二度とない人生をどう生きますか? ~ 」

 

 

 講座の開始に当たり、連携講座担当の人文社会科学部法学科教授 国京則幸先生より次の3つのお話しがありました。

 1つには、本講座レポート提出についての諸注意

 2つには、「講義レジュメ」の全学生への配布

 3つには、講師のご紹介

 

 そこで、講師登場

 

 皆さん、こんにちは。私は、ただ今、ご紹介にあずかりました、皆様の先輩に当たる「浅倉 三男」と申します。

 本日の演題は、「指導者らとの出会いと私の社長キヤリア形成 ~ あなたは、二度とない人生をどう生きますか? ~」です。

 

 ところで、本論に入る前に、次の3点をお話します。

   私は、東証1部上場の塩水港精糖株式会社の社長を9年間勤めました。塩水港精糖は、精製糖・バイオ製品などを生産している会社で、全国のスーパー等で販売されている商品「オリゴのおかげ」を製造している会社です。

塩水港精糖は、1904年(明治37年)に台湾の内陸部にある「塩水港」で設立された製糖会社です。会社の商号は発祥の地「塩水港」に由来しています。台湾でいう「港」とは、日本語でいう船舶が安全に碇泊できる所という意味ではなく、川が分岐するゾーンを意味します。ですから、台湾の内陸部に「塩水港」の地名があっても不思議ではありません。このことを教えてくださったのは、日本と台湾の文化交流協会会長であり、元最高裁判事、現在は弁護士の園部逸夫先生です。天皇の生前退位について識見を述べられている方でもあります。

   私は沼津市で育ちました。駿河の国に秀でたるもの2つあり、1つは富士の山、もう1つは沼津市原の禅僧「白隠禅師」です。この白隠禅師は、朝起きると、手で耳をつまんで引っ張り、足をもんでいたそうです。これで目を覚ますのです。眠けを覚ますには、耳を引っ張るといいようです。

では、白隠禅師のまねをしてみましょうか。皆さん、手で左右の耳を引っ張ってみてください。眠けを覚まして、私の話を聞いてくだされば幸いです。

   本日、新幹線の中で日本経済新聞を読んでいましたら、こんな記事がありました。(記事の切り抜きを掲げながら)、世界的に有名な某会社の代表取締役社長が「大学で勉強をしない学生は、社会に出ても役立たない。」と言っているんですよ。これはおかしい。

この記事の内容に反する話が、正に、本日のこれからの私の話となります。私は勉強しないダメ学生でした。しかし、私は就職して社長に推挙された。社長になるために社会人となってから必死で知識を習得し人間力を磨き続けた。今考えると、学生時代に勉強をしなかったことと将来の生き方に真摯に向き合わなかったことが、何百倍もの苦労となって跳ね返ってきたが、私はこれに負けなかった。人生には、誰でも失敗や挫折はあるけれど、それで終わりでない、復活の道もあるのです。皆さんには、「二度とない人生をどう生きるか?」というテーマに真摯に向き合い、有意義な学生生活を送り、私のようなダメ学生にならないで欲しい。

 

 では、本日配布した「講義レジュメ」に従い、お話しを進めたいと思います。

 

1 自己紹介

①1944年(昭和19年)生まれ、現在、72歳

②1968年(昭和43年)静岡大学 文理学部 法学科卒

静岡県内には優良企業が多いので、地元の静岡大学に入学しておけば就職は困らないだろうとの安易な考えで、静岡大学文理学部法学科に入学。学生時代は勉強をせず、人生をどう生きるか真剣に考えずに過ごした。河中二講教授の行政学ゼミで席だけ温めていた学生でした。

  1968年(昭和43年)大洋漁業株式会社(現在 マルハニチロ(株))入社

当時、日本は高度経済成長の真っ只中で、就職は簡単に見つかるだろうと楽観し、殆ど就職活動はしませんでした。大学4年生に進級したとき、心配した河中二講教授のご紹介により、当時、食品会社では日本のトップクラスの企業規模の大洋漁業(株)の入社試験を受け、合格できました。河中指導教官へのご恩は生涯忘れません。大洋漁業(株)には、静大の先輩が3人いましたが、社員何千人の中での静大出身者の存在感はありませんでした。

大洋漁業(株)の入社式で私は、中部謙吉社長の指名により、新入社員の前で、社訓「1つ、企業は何よりも人にある。1つ、・・・・」を読まされました。後に塩水港精糖(株)社長になった私は、この社訓を執務室に掲げて経営理念の柱としました。

④46歳のとき、大洋漁業(株)の子会社の塩水港精糖(株)に転籍。その後、部長、取締役、常務、専務、副社長を経て、60歳で、東証1部上場会社「塩水港精糖株式会社」社長に就任。その9年後の2014年(平成26年)5月、69歳で社長を退任しました。

 

2 私の経歴とキャリア形成

それでは、これから社会を動かす皆さんが、二度とない人生と真剣に立ち向かい、キャリア形成に役立てていただきたいとの思いで、皆さんに参考になる体験談の話をしたいと思います。私が皆さんに伝えたい話の内容を要約すると、次の2つです。

  私は、経営者としての「実力」をつけたこと。

  私は、出会った指導者らから学んだ教訓等を活かして、人間が成長していく過程で形成される「人間力」を磨いたこと。

 

さて、東証1部上場企業の社長がサラリーマンの頂点だ、と言う人がいますが、その意味では、私は幸せ者です。しかし、私は、人を押しのけて社長になろうと思ったことは一度もありません。出会った指導者や仲間から受けた教訓等を活かして、自己研鑽を積み重ねることにより人間力を磨き、その結果、企業経営者に選出されたと思っています。

ところで、皆さんは、社会に出てから二度とない人生をどのように生きますか?仕事を持つことは幸せなことです。でき得れば、自分の志や目標とする職業に就き、自分が満足する仕事に従事できれば、言うことはありません。しかし、現実に立つと、まず職業や就職先を絞り、入社試験に合格しなければなりません。そのためには、学生時代に基礎知識や専門知識を勉強し、将来の自分への投資をすることです。また、課外訓練をすることにより、失敗を含め様々な経験・体験を通じて、対人関係処理能力、忍耐力、思いやり等を体得することによって「人間力」を高める土台を作ることです。さらに、自分の資質、能力、適性、長所、短所などを自己分析し、これに、教官や親や友人などの他己分析を加味し己を知り、自分の目指す職業や就職先を決めるとよいでしょう。「連携講座」を通じて、変容する現実社会の実態を知り、将来を展望することは、皆さんが進路を決める際に大いに役立つものです。しかし、「連携講座」を活用するもしないも、皆さん次第です。私は、皆さんが自分の人生を成功させて欲しいと願うものです。

今の日本は、経済のグローバル化や情報技術が進む中、デフレ、人口減少、財政赤字、格差社会、地方衰退など構造変化に直面し、その対応に苦慮しています。だからこそ、かつてない変化に対応し、難局を克服していくためには、様々な業種や分野で「人間力」を持った人材が求められているのです。

そこで、私の社長キャリア形成の原動力となった体験談を年代順に、実力をつける為に「努力」したことや、自立した人間として力強く生きていく為の総合的な力としての「人間力」を磨き、キャリア形成を蓄積してきた体験談を紹介していきたい。

私の体験談を聞いて、皆さんは疑似体験され、今後の自分のキャリア形成に役立てて頂きたいと思います。

 

(1)20歳(静岡大学2年生)→ 大人であることを無言の教えから学ぶ。

1966年(昭和41年)、文部省(現 文部科学省)所管の中央教育審議会(会長:森戸辰男氏)による「後期中等教育の拡充整備について」の答申と併せて「期待される人間像」が答申されました。「期待される人間像」では、青年に愛国心や遵法精神を育成することが強調されました。義務教育に戦前の「修身」に類する「道徳」教育の導入が必要でないかということもありました。

この答申のあった前年(1965年)、「期待される人間像」の聴聞会があり、全国から20歳の男女100人から意見を聞くことになりました。私は、そのうちの一人の委員として、当時の渡辺寧靜岡大学学長(故人 器の大きい電子工学者兼教育者)の推薦を受け、出席しました。しかし、渡辺学長は、学長と学生との上下関係に基づく指示を私に何も出さなかった。

このとき、私を大人として扱い、私の自由意思を尊重する学長の姿勢に接し、私は大人であることを初めて自覚した。学生といえども社会の構成員として責任のある言動をとらなければならない、と言うことを私は無言の教えから学んだのです。

 

(2)23~32歳(大洋漁業(株)大阪支社)→ 人は努力する人間を見ている。

入社してすぐの23歳(1968年)のとき、大阪の有力なハム・ソーセージの代理店(従業員50人)が倒産し、私はその倒産処理を担当させられた。回収すべき債権金額は大きく、また担保物件も多く難しい仕事だった。靜岡大学で聞きかじった法律知識は実務に全く役立たない。そこで、私は、民法、商法、破産法、民事訴訟法、不動産登記法、担保(抵当権、質権、譲渡担保)、税法などを必死に勉強した。また、日曜日には、大阪の私立大学に通うなど、法律の猛勉強をした。また、会社の法律顧問であった阿部甚吉弁護士(1969年日弁連会長就任。思いやりがある苦労人)とその門下生からも徹底的に法律実務の指導を受けた。当時、法曹界では珍しい即決和解調書に基づく「建物明け渡しの断行仮処分」、譲渡担保契約に基づく「食用鶏の執行官保管の仮処分」、「債権譲渡」、「不動産競売」などの実務を経験したのです。

このように私が法律実務の仕事に苦労し努力をしている姿を見ていたからでしょう。1977年(昭和52年)、私が大洋漁業㈱大阪支社から東京本社へ転勤する際に、阿部甚吉先生が大阪・北新地の高級料亭で、私の送別会を開いてくださいました。このとき、阿部先生曰く、「浅倉君、君は大洋漁業で働いているのだから、将来、瀬戸内海でクジラを養殖するなんて、ちっぽけな考えをするなよ。太平洋でクジラを増やすんだよ。」と。私は、この言葉は、「浅倉はスケールの大きな人間になりなさいよ。」という励ましのメッセージと受け止めました。そして、阿部先生の期待に応えなければならないと決意したのです。この決意が、その後、私が力強く人生を駆け抜ける原動力の1つになりました。

大坂で倒産処理の仕事をしていた頃、知人から「ビル2階に開設する麻雀荘の許可がおりないで困っている。協力してほしい。」と頼まれました。麻雀荘を開設するには「風俗営業法」に基づき大阪府公安委員会の事前許可が必要。ビル2階の麻雀荘の出入口は、「消防署は2カ所つくれ、他方、「警察署」は1カ所にせよ、という行政の対立で、なかなか許可が下りなかった。結局、緊急時には出入口を2カ所に応用できる扉を設置することで許可を取得した。このとき、世の中のモノの見方は1つだけでないことを実感した。

皆さんも、重要な決断をする時は、一方の側面だけからモノを見ることなく、異なる側面からも見て欲しい。複合的・総合的に判断することが大切だと思います。

 

(3)29歳(大洋漁業(株)大阪支社)→ 話し方と気配りの大切さを学ぶ。

1973年(昭和48年)、私が食品労連大阪地区議長であった頃、同志社大学講師を辞めて衆議院議員となっていた土井たか子氏(故人。気配りができ信用できる憲法学者、元社会党党首、元衆議院議長)が会社に私を訪ねてこられ、一緒に食事をする機会がありました。土井氏は、私の顔を見つめながら私の話が終わるまでしゃべらず、じっーと話を聴く。私が話し終えると、初めて口を開く。さらに、私の質問に対する答えは的確。実に感動的でした。このとき私は、「話し方の基本」を土井氏から学びました。

その後、1994年(平成6年)、既に塩水港精糖(株)に転籍していた私は、国会衆議院事務局副部長であった近藤誠治君(総合職試験合格者。静大同期生。その後、衆議院事務局議事部長に昇進)を国会に訪ね、昔お会いした衆議院議長・土井たか子氏に、塩水港精糖商品「オリゴのおかげ」を渡してほしいと依頼した。その後すぐに、土井衆議院議長から直接、お礼の電話をいただき私はびっくり。その土井衆議院議長の話し方に加え、その気配りの凄さにも感服。土井たか子氏から大切な処世訓を学びました。

皆さんは、これから面接を経験するでしょう。人の話に最後まで耳を傾け、しっかり聴いて、それから、受け答えをするよう心掛けるとよいでしょう。人間に重みが出てきますよ。

 

(4)36歳(大洋漁業(株)本社 文書課課長代理)→ 実力は他人が評価する。

ある日、人事部から私に「法律系大学卒業見込み者の入社試験問題を作成し、採点せよ。」との業務命令が下る。文書課やその周辺には、東大・中央大・早稲田大・東北大・上智大などの法学部卒業生で優秀な法律系社員が多数いたのに、何故、私が?と思いました。しかし、何故、私に仕事が回ってきたのか、解りました。実力は他人が評価するのだ、と解ったのです。

皆さんも、他人に評価されるよう努力し、実力をつけてください。

 

(5)41歳(大洋漁業(株)本社 総務部総務課長)→ 友達は個人や国家にとっても大事。

1986年(昭和61年)6月のあるパーティでのこと。老齢の岸信介元首相が私に話しかけてこられました。

岸元首相:「君、なぜ、僕が1960年に新安保条約を締結したか、理由がわかるか?」

浅倉(直立不動):「解りません。」

岸元首相:「その理由は、当時日本には米国しか友だちがいなかった。だから、日本は友だちの米国と仲良くやっていく必要があり、新安保を締結したんだよ。」

このとき、私は、個人にも国家にも「友だち」が必要で大切なんだと、考えさせられました。持つべきは「良友」かと。

ところで、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災で、横須賀基地から米軍が「トモダチ作戦」の名で救援活動を展開しました。この「トモダチ」と言う言葉を使った作戦には、岸元首相は天国で苦笑いしていたことでしょう。

なお、岸信介首相には特筆すべきことがあります。国民年金法や最低賃金法を制定し、また国民皆保険の道を拓くなど社会保障制度を導入したことです。

 

(6)42歳(大洋漁業 (株)本社 総務部総務課長)→ 色紙の書「無為」に学ぶ。

中曽根康弘首相は、私達の先輩で、哲学と歴史を重んじた政治家です。同首相は、静岡大学文理学部の前身である旧制静岡高校の出身で、旧制高校時代、「仰秀寮」に寄宿されておられました。私も「仰秀寮」


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