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平成29年度連携講座 : 平成29年度 第13回 連携講座
投稿者 : 事務局 投稿日時: 2018-10-01 11:27:20 (43 ヒット)

平成29年度 静岡大学岳陵会 連携講座 第13

 

日 時  2018115日(月)1425分~1550

会 場  静岡大学 共通教育B501

受講生  80

講 師  新海 裕悟 様  

味の素AGF㈱(旧味の素ゼネラルフーヅ㈱)

マテリアルビジネス部(旧加工原料部)マネージャー

(人文学部18回 昭和61年 経済学科卒)

演 題  「 何かひとつ やりきる 

 

 

こんにちは、初めまして、18回卒業の新海と申します。こんなにたくさんの後輩の前でお話しができることを光栄に思います。今日は夢に向かって突き進んでいる皆さんの、少しでもヒントとなるよう、自分の人生を振り返ってみたいと思います。副題は、「何かひとつ やりきる」、これが今日、皆さんに伝えたいことです。

 

私は、愛知県知多市に生まれ、地元の高校を出た後、今から32年前に経済学科を卒業しました。卒業してからずっとAGFというコーヒーの会社で働いてきました。家族は、長男は就職して家を出ましたが、次男、長女、妻と一緒に4人で、東京で暮らしています。

 

少し順番を変えて、皆さんに興味を持ってもらえそうな話から始めたいと思います。最初にAGFという会社について話します。AGFは加工食品業界の一メーカーです。ビール会社やパン、乳製品も同じ業界です。大きく言うと、同じ業界であればどのメーカーもやっていることは同じです。食品といっても、肉、魚、野菜の生鮮3品は別になります。金額ベースですが、飲料カテゴリーの中で、コーヒーは一番大きな規模があります。

コーヒー豆の輸入量は伸び続けています。高度成長、喫茶店ブームなどを経て拡大してきましたが、若い人のコーヒー離れが心配された時期もありました。それを救ってくれたのがスターバックスやコンビニのコーヒーで、AGFもコーヒーの消費の伸びとともに成長してきました。AGF(味の素AGF㈱)は、全国に拠点を構える、売上約1,300億円の会社です。皆さん、ブレンディと原田知世さんはご存知でしょうか?又吉さんには、芥川賞を受賞される前からお手伝いをいただいています。北川景子さんを採用したカフェラトリーは、最近のヒット商品です。一時は欠品する程販売が集中しました。

AGFの創業は1973年、今から45年前です。コーヒーを中心に、その時代に合った商品を世の中に送り出してきました。私はAGFの急成長を見て1986年に入社しました。よく言われることですが、食品は不況に強く、バブルやリーマンショックが起きても成長が続きました。唯一成長がストップしたのは、1997年前後のコーヒー豆が高騰した時です。初めての赤字に転落しました。赤字になる前の緩んだムード、赤字の年の大幅なリストラ、V字回復をさせる途中のしんどさと、V字回復させた後の喜び、これらは貴重な経験となりました。何故V字回復できたか?といいますと、多くの会社と同じように、古いものを捨てて、新しいやり方に変えられた、ということです。つまり破壊と革新ができたということです。

AGFは総合嗜好飲料メーカーです。皆さんご存知のインスタントコーヒー、レギュラーコーヒーから、ペットボトル、それからスターバックス商品も取り扱っています。今、この中で一番伸びているのは、スティックコーヒーとコンビニのコーヒーです。スティックコーヒーは、古いようで新しい商品です。ひとり暮らしや年配の方が増加し、好みや生活時間が多様化する中で、自分好みのものが手間をかけずに飲めることから市場は大幅に拡大しました。また、コンビニコーヒーは、10年以上前から何度も各社がトライしており、なかなか成功しませんでしたが、時代の変わり目をうまく捉えたことと、品質へのこだわりが成功を生みました。タバコの売上減、震災、ライフライン、女性、年配、ついで買い、淹れたて、ドリップ、100円、などがキーワードです。

商品は、大きく分けると、家庭用と業務用に分けられます。家庭用は、スーパー、ドラッグ、コンビニ、ネット通販などを通じて、業務用は、それぞれのカテゴリー専門の商社、販売会社を通じて販売しています。家庭用は判りやすいですが、業務用は少し判りづらいと思います。家庭用の営業は、スーパーが中心で、お客様は消費者です。その陳列場所「棚割」をいかに確保して、いかに売れるようにするかが仕事です。業務用のお客様は、メーカーや飲食店、自販機のオペレーターなどです。表からは見えませんが、使ってくれるユーザーをいかに増やすかが仕事になります。

AGFは森を守る活動も進めています。これは工場のある、三重県鈴鹿市の森を守る活動です。工場は鈴鹿山脈を水源とする水をたくさん使用していますので、感謝の気持ちを込めて取り組んでいます。

一昨年になりますが、煎というコーヒーが伊勢志摩サミットで採用になりました。日本ならではの繊細なドリップコーヒーが、各国の首脳、関係者から絶賛されました。採用の理由は、日本らしさと美味しさでした。日本の水は軟水でコーヒーが沁みやすく繊細な味がでるのです。

次に、私の今の仕事について話したいと思います。会社には、企画・開発、生産、営業などの機能が分かれていますが、自分はずっとAGFの営業畑を担ってきました。営業はご存知のとおり、会社とお客様を結ぶ役目です。正しいお客様の情報を会社へ伝えて、商品の企画・設計に活かしていきます。

今、自分が所属しているのはマテリアルビジネス部と言って、原料用コーヒーの販売部隊です。お客様は消費者ではなく、メーカーになりますので、基本は丸秘で、詳しくお話することができません。イメージだけですが、例えばこのような商品の原料としてかなりの量を販売しています。皆さんが普段、飲んだり食べたりしているものにもおそらく入っていますので、皆さんは全てお客様ということになります。

AGFは総合コーヒーメーカーですので、コーヒーに関しては全てのお客様の要望に応えることができます。コーヒー豆を焙煎したレギュラーコーヒー、それを工業的に抽出したコーヒーエキス、さらに乾燥させてパウダーにしたインスタントコーヒーなどです。競争相手にはできない特殊な技術でお客様の課題を解決して、売上を拡大するのが仕事です。

 

ここで、ちょっとクイズです。①SOT缶、②ボトル缶、③ペットボトルでどれが一番売れているでしょうか?・・・答えは②ボトル缶ですが、ペットボトルがどんどん増えてきています。

私は、昨年の6月までの3年間、味の素へ出向していました。味の素は、家庭用調味料、業務用調味料、スポーツ用アミノ酸から化粧品、医薬品まで、AGFの何倍もの商品を扱っています。味の素社の製品は、様々なレストランやコンビニのお弁当などにも使われていますので、日本の全ての人がお客様ということになります。自分は、業務用の外食向け調味料の販売を担当しましたが、例えば、レストランへデミグラスソースをおいしくする方法を提案したり、病院へお肉を柔らかくする提案などをやっていました。商品の特長を、実際に調理して説明しなければならないところが大変でした。お陰で料理の腕は上がりました。

これは展示会の様子です。・・・これは、千葉県のとあるレジャー施設のレストランに行った時の写真です。・・・これは、私が小学校へ出前授業に行った時の写真です。4年生のみんなに、うま味の体験をしてもらいました。

味の素への出向の前は10年以上、コーヒーの外食営業を担当していました。仕事のキャリアで一番長いのが外食になります。AGFの外食部では営業部隊のマネージャーとして大手チェーンの開拓を担当しました。某何々コーヒーなど、競合コーヒーメーカーとの競争で、億単位の仕事を獲得したこともあれば、失くしたこともありました。失えば工場の稼働率が下がってさらに苦しくなりますので、会社対会社のチーム戦となります。一番燃えた時期かも知れません。

外食コーヒーの特徴の一つに、コーヒーマシンの活用があります。ドリンクバーやカフェ、コンビニには、様々なエスプレッソマシンやドリップコーヒーマシンがあって、コーヒーの知識や対応力の勝負となり、とてもやりがいがありました。ここで少し外食コーヒーの変遷について触れておこうと思います・・・・・・・。

 

さて、ちょっと仕事の話を離れて結婚についてです。この写真は、自分が入社した頃の社内旅行の写真です。この女性が今の上さんで、この時は、まさか結婚するとは思ってもいませんでした。同期で行ったスキーの写真も懐かしい一枚です。白い帽子が自分で、黄色のウエアが今の上さんです。上さんは、大阪支店入社の同期でした。大切な人は身近に居ますので、皆さんももう一度周りに目を向けてはどうでしょうか。山形への転勤が結婚のきっかけにもなりましたので、新婚生活は山形で始まりました。長男と次男が生まれましたので、そこで過ごした4年半は忘れられない思い出になりました。

 

さて、ここで一休みしてクイズです。日本で一人当たりのコーヒー飲用杯数の多い県は、①鳥取県、②山形県 ③静岡県、のいずれでしょう?・・・答えは①鳥取県です。なんと最下位が静岡県。静岡はお茶を飲むということで説明がつきそうですが、鳥取は何故でしょうか?おそらく、人口構成と県民性に関係がありそうです。コーヒーは中高年の飲用が多いので、若い人の多い都会は少なくなっています。鳥取県のコーヒーの飲まれ方を詳しく調べてみました。インスタントとリキッドコーヒーの家庭内飲用が多く、ミルクや砂糖をたっぷり使います。クリーミングパウダーの使用率は全国一位です。食事中も食後も良く飲むようです。大山の麓には、大山乳業という会社があり、ユニークなコーヒー牛乳“白バラコーヒー”を販売していますので、独特の飲用習慣があるのかも知れません。

 

さて、本題に戻りまして、学生時代まで遡ってみたいと思います。自分は地元、愛知県の高校を出て1981年に静岡大学に入学しました。家の事情もあり、雄朋寮に入りましたが、田舎から出てきて初めての一人暮らしでしたので、とても助かりました。寮での一番の想い出は、ストームと言って、ふんどし一丁で、片山寮や駿府公園へ押しかけるイベントです。今でも残っているのでしょうか?何故そんなことをやっていたのか思い出せませんが、真冬にふんどし一丁で街中をお城まで走って、お堀に放り込まれたり、飛び込んだりしていました。

バイトもいろいろやりました。皆さんも様々なバイトにチャレンジしていると思いますが、お奨めはいろいろなバイトをやってみることです。お寿司屋さんのバイトは入学してすぐ、4月から始めました。5月になってサークルが忙しいからやめますと言ったら親方にメチャメチャ怒られました。法面工事は、清水の先、由比あたりの国1沿いの崖の工事です。あそこを通るといつも、青森から来た出稼ぎのおっちゃんを思い出します。喫茶店も、草薙球場の近くで2年間やりました。

学業の方は、中途半端でしたので、少し後悔しています。考えをまとめて議論することは、この先一生ついて回りますので、トレーニングを積んだ方がいいと思います。今も近先生へは感謝と反省の年賀状を出し続けています。

サークルは山岳部に入りました。入部は高校時代から決めていました。高校1年まで野球をやっていましたが、レギュラーになれそうになかったのでやめてしまい、その時から大学では山岳部と決めていました。当時、ヒマラヤのドキュメンタリーが多く放送されていたのと、自分を鍛えたかったからだと思います。皆さんも登山の経験はあると思いますが、様々な登り方があります。少し長めの山歩きを縦走と言います。スポーツクライミングはオリンピック種目となりました。

当時の山岳部は年7回の合宿を基本としていました。入部するとすぐ、GWにいきなり3000メートルの雪山へ連れて行かれます。それが新人歓迎合宿で、6月には2年生がリーダーを経験する合宿があり、夏休みに入ると約3週間の夏山合宿になります。前半はベースキャンプを張って岩登り、後半が縦走です。3週間分の荷物は50kgを超えるので、入山日は一番大変です。この写真は、北アルプス立山の室堂から剣沢、真砂沢のベースキャンプに入る時の様子です。この日から3週間、お風呂には入れません。これは岩登りの様子です。残雪の残る岩山でのクライミングはとても気持ちがいいです。10月に秋山合宿、11月の大学祭の休みに行く富士山雪上トレーニングを終えると、いよいよ冬山合宿です。冬は雪や氷に対応する装備が増えるため、食料も重くならないように乾燥させていきます。水は雪を溶かして作るので燃料もたくさん必要です。テントはもちろん雪の上です。気温は-20℃くらいになります。ですから、行動中は、水は飲めません。寒さで水が凍ってしまうことと、体を冷やさないためです。朝食時にお腹いっぱいのお茶を飲んだら、後は夕方まで我慢です。お正月の冬山合宿の後、3月の春山合宿(卒業山行)までが1年の活動でした。

普段の活動は、ランニング、ロープワークの練習、近郊の山への日帰り登山、それと合宿に向けた準備です。バイクや車にも憧れがありましたので、せっせとバイトをして自分で購入しました。山の道具は高価なため、山に登るためのバイトは不可欠でした。部費稼ぎのために、富士登山のツアーを企画したこともありました。バスをチャーターして、他の大学の人も含め、無事に頂上まで連れて行くと皆さん感動してくれました。

ちょっと大げさですが、自分の学生時代を振り返ると、気持ちはもちろん、お金も時間も山岳部中心の生活でした。1年に100日以上山にいましたので、1年留年しましたが、その分を山に居たと思えば、とても充実した5年間でした。そんな学生時代を象徴しているのがこの写真です。これは先輩の卒業写真ですが、キャンパスライフのスナップ写真の中に、図書館下の石垣を登る自分の姿が写っていました。今やると問題になると思いますが、毎日やっていましたので、編集の方の目に留まったのでしょう。

 

さて、ここでクイズです。アイガー北壁の最速登攀記録は、①2日と22時間 ②22時間と2分 ③2時間と22分 のいずれでしょうか?・・・答えは、③2時間と22分です。

山岳部時代のエピソードをいくつか紹介します。今回の講義の準備をしていたところ、こんなノートが出てきました。合宿で登る目標のルートを細かく調べたものです。少し気恥ずかしいですが、当時の気合の入れ方が判ります。

これは合宿の計画書と報告書です。35年前は携帯もパソコンもありませんでしたので、全て手書きで、ガリ版刷りの計画書や報告書を、警察、OB、他大学へ発信していました。お陰で、準備と段取りは上手くなり、仮説検証で計画を磨き上げることができました。部員は3~4人しかいなかったため、ひとりで準備することも多く、よくやったと思います。

次に、山を歩く時の隊列ですが、これにも意味があります。だいたい先頭を若くて元気な2年生が歩きます。そして一番後ろを3~4年のリーダーが歩いて全体を見渡します。ポイントは2番目で、技術・体力の劣る1年生が入ります。この1年生のペースで歩くことになります。バテた1年生には精神的な重圧がかかって大変ですが、怒鳴ってもペースが上がるものではありません。ペースを上げるためにどうするか?全員の意識が一つになるととてもいい合宿になります。

もう一つ、登り返すために引き返したという話です。1年生の夏の合宿で同級生が帰りたいと言い出したことがありました。前半の沢登りを終えて、後半の縦走に入った初日に、疲れと足にできたひどい豆のせいでパニックになったのだと思います。その時のリーダーは6年生の先輩でしたが、なんと「じゃあ、みんなで帰ろう」と言って、5時間かけて登ったところを元の場所までもどってしまいました。テントで泊まって、翌朝、自分は下山したら何を食べようかと思っていたところ、「登るぞ」と号令がかかり、再び登り始めました。リーダーは、バテた同級生が気持ちを立て直すための時間を作ってくれたのでした。登るために引き返す、これは今でも教訓として自分の中に生きています。今の仕事にも生きています。

あと一つ、山では吹雪で周りが何も見えなくなってしまうことがあります。それをホワイトアウトと言いますが、確か3年生いや3年目の冬に経験しました。南アルプス縦走の最終日、天候の悪化が早く茶臼岳から下り出す尾根が判らなくなってしまいました。自分はリーダーでしたので、下級生を待機させて探しに行きましたが、尾根なのか谷なのかも判らず、どこを下り出そうかと何度も迷いました。身の危険を感じながら焦って30分くらい歩き回ったでしょうか?吹雪が弱まった一瞬に、見慣れた岩が幽かに見えてホッとしたことがありました。これは、納得するまで自分の目で確かめることが大切という教訓です。これも今の仕事にも生きています・・・・。皆さんにもあるのでは・・・・。

 

そんな学生生活にも終わりが近づいて来ました。そうです。5年目の夏を迎えました。5年目の夏と言えば、既に同級生は就職し、1年遅れの同級生も就活中でした。自分はと言えば、そう、やっぱり山へ入ってしまいました。就職から逃げていたわけではなく、山を極めれば道は開けると本気で思っていました。しかし、別の意味で、この合宿が就職へのきっかけとなりました。OBと話したお陰で夢と現実を結びつけることができ、やっと就職へ踏み出すことができました。親に言われたことも思い出しながら、自分のやりたいことをやれば良い、身近な商品で商売(営業)がやりたいという気持ちが固まっていきました。

これは、受験した会社の一部ですが、32年前でも、8月と言えば就職活動も終盤の終盤、募集の終わっている会社も多く、手当たり次第にハガキや電話で連絡して受けました。面接の受け方を知りませんでしたので、「お宅は第三志望です。」と言って落ちた会社もありました。面接官はビックリしていました。

AGFを選んだ理由は、誰もが知っている身近な商品であることと、成長性、少数精鋭主義という言葉にも心が動きました。採用の通知がなかなか来ず、祈る気持ちで採用担当者に電話したところ、君は補欠なのでもう少し待ってくださいと言われました。その後採用の連絡が来た時はホッとしましたが、ビリからのスタートということで、「俺を採用しないでどうする」と、見返してやりたい気持ちになったことを覚えています。

 

さて。ここからは三つ目のパートで、入社から先程の外食営業の仕事に至るまでのお話しです。時間も迫っていますので、トントンと行こうと思います。入社後、研修を受けて最初に配属されたのは、営業5課でした。新しくできた部署に抜擢されました。営業1課が量販店、2課が卸店、3課が遠隔地の担当、4課がペットフード、そして5課は新製品育成課でした。新入社員なのに新製品課、主力商品も知らないのに新商品を売れるのか?ということで先輩からも相当いじられました。山と同様に、誰もやらないことがやりたいと思っていましたので、とてもうれしかったです。当時の主力はインスタントコーヒー、広がり始めた家庭用のレギュラーコーヒーに参入して、売上を拡大するのが役目でした。優れた上司や先輩と一緒に仕事ができたことも、自分の財産になっています。

但し、実際の活動は30年以上も前のことですから、パソコンも携帯もなく、報告書は手書きで、大変でした。活動はスーパ<


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