平成29年度 第14回 連携講座

投稿日時 2018-10-03 11:22:28 | カテゴリ: 平成29年度連携講座

平成29年度 静岡大学岳陵会 連携講座 第14回

 

日 時  2018122日(月)1425分~1550

会 場  静岡大学 共通教育B501

受講生  80

講 師  前田 巧 様  

司法書士 

(人文学部5回 昭和48年 法学科卒)

演 題  「 現代社会の変容とキャリア形成 

 

 明けましておめでとうございます。人文5回卒の前田です。浜松で司法書士をやっております。司法書士ってご存知ですよね? 私の静岡での人生は静岡大学から始まりましたので、久しぶりに原点というか故郷へ帰ってきたような気分です。現役リタイヤの前に、このような機会を与えていただいて有難うございます。とは言いましても、私は自営業ですので、人前で話したり、会議で発表したりする機会がありませんので、このような大勢の前で、うまく話す自信はありませんが、最後までよろしくお願いします。

 それでも、長く生きておりますと、長と名の付く仕事が舞い込んでくることもありまして、次男が中学の時にはPTA会長を仰せつかることになり、総会、入学式、卒業式などで恥をかかせてもらいました。それから静岡県司法書士会の浜松支部には、現在140名程の会員がいますが、支部長の経験もしました。余分ですけど裁判所の調停委員も10年程引き受けた時期があります。

 苦手なことを引き受けていつも失敗するのですが、逃げるより失敗した方がましという勝手な思い込みがありまして、それで結局、周りに迷惑を掛けることになるのですが。それで今度も同窓会の浜松支部長が、「順番だから」ということで、ここにいるわけです。難しい話は出来ませんので、反面教師になれればいいかなと思って、話そうと思います。

 

1 どうにか静岡大学へ

ところで県外出身の方はどれぐらいいるのですか?私の時代には法学専攻は50人で、まわりに静岡県内の人の記憶はなかったのですが、同窓会名簿を見たら5人ほどいました。聞きませんけど、やはり、今は現役の方の方が多いのでしょうね。私の頃は一浪が普通で現役は希少価値でした。去年の夏の甲子園はご覧になりましたか?公立でベスト8になって話題になった三本松高校のある香川県東かがわ市の三本松が私の故郷です。私が高校に入る前に「末は博士か大臣か」という映画がありまして、小説家の菊池寛と衆議院議長になった綾部健太郎がモデルでみなさんは当然知らないでしょうが主役はフランキー堺と船越英一郎の父の船越英二でした。二人とも旧制高松中学、今の高松高校の卒業生なので私も、近所の人に「末は博士か大臣か」なんておだてられて調子に乗ったものです。

それでも現役の時の大学入試では、東大に30数名合格して、全国20傑に入るような高校でした。当時は、国立大学は一期校、二期校に分かれていまして、私は無謀にも、一期校の法学部一本に賭けたのですが、見事に散って浪人になりました。何故そんな冒険ができたかというと、わが校には、一年間の補習科がありまして、4年生ですけど、公立の予備校ですね。ところが、この入試が結構難しくて、ここに落ちて浪人せずに、地元の香川大学へ行った友達もいるくらいです。入ってからも、成績順に1組、2組に分けられて、夏には、またクラス替えの試験があったんです。団塊世代の末っ子ですので、上からの浪人だらけで、ちょうどその頃、高石ともやの「受験生ブルース」というフォークソングが流行っていて、彼が香川大学へ来たときに聞きに行ったりしました。

 当時は、すでにどこの大学でも学生運動が盛んで、7月になって東大の安田講堂も学生にバリケード封鎖されて、機動隊との激しい攻防戦を繰り広げていました。年末になって、文部省は、一方的に東大と東京教育大(現在の筑波大学)の入試を中止すると決定しました。年を越して1月になって機動隊が突入してやっと封鎖が解除されました。皆さんは、攻防戦の記録映像を見たことがありますか?封鎖が解除されたので入試があると思ったところ、翌日に東大も入試の中止を受け入れてしまいました。「大学の自治の崩壊」とまで言われました。

当時の国立大学の法学部の定員は東大が400人台、京大が300人台、阪大、神戸大、一橋大などが160人位であったと記憶していますが、東大の入試が中止になると、どういう影響が出るか想像してもらえると思います。私の静大の受験番号は888番だったのでいまでも憶えています。倍率は20数倍でしたが、実際は、一期校や私立に合格して何割かは欠席者がいました。浪人したのにまた第一志望校に落ちてしまって、どうにか静大に合格して、傷心のなか、静岡駅はまだ木造だった頃ですけど、初めて片山のバス停に降り立った時は、田舎で砂ぼこりが舞っていて、足が宙に浮いている感じでした。大学は封鎖されていて、いつ始まるかわからない状況でした。とりあえず、高松で下宿を始めて、封鎖解除のデモに行ったりしているうちに5月になって、やっと機動隊が入って解除されたのですが、駿府会館での入学式はなくなり、昔の人文棟の教室でオリエンテーションのような入学式で始まりました。

最初の下宿は、納屋を改造した6部屋で、そのうち4人が新入生で、それも皆、人文学部生でした。自分だけ受験に失敗したという気持ちが強かったのですが、彼らの状況も同じようなもので、大分、慰められました。彼らとは、今でも三河の温泉で新年会をやっています。

当時の授業料は高校より安いくらいで、仕送りと育英会の奨学金が8千円、中学生の塾の講師のアルバイト料等で月4万円ぐらいあったかな。下宿代は6千円ぐらいだったのでリッチな学生時代でした。その分、麻雀したり、ボウリングしたり、よく遊びました。喫茶店にも入り浸っていました。受験に失敗したという思いが強かったのか、勉強に集中出来ず、4年で卒業できればいいという怠惰な生活で4年間を過ごしました。それでも同級生は優秀で、4年生の夏期講座に名古屋大学から刑法の基本書も書いておられた大塚仁先生が来られて、「今年の司法試験の短答式の合格率は静大は一橋大の次だった」と言われたのを記憶しています。人数が少ないから当然のことかもしれませんが、結果的には私の知る限り50人のうち、5人は法曹界へ進んでいます。

2 就職活動は自分で

弁護士は手遅れでも、将来、何か資格を取って独立したいという願望はあったのですが、勉強してないので、取り敢えずどこかに就職しなくてはいけない。法律ですので、金融か保険かぐらいしか思い浮かばなかったところ、信託銀行には不動産部門があって、不動産鑑定士の受験を援助してくれると聞いて「これぐらいかな」と思いました。3年の後半には、学校へたくさん求人票も来ていて、依頼すれば、当然、学校からの推薦状も貰えたはずですが、如何せん、成績がパットしないので、取り敢えず自分でまず就職活動をしてみようと決めました。

静岡駅前に信託銀行の支店があったので、飛び込みで入ったら、数日後に改めて来いとのことで、約束の日時に行くと、きれいな女性社員に案内されて、支店長に会い、簡単なペーパー試験を受けました。しばらくして連絡があり、東京本社に行くと、その日は、待合室に既に10名ほど来ており、私が入るとすぐに人事部の方が来て、特別に労いの言葉をかけてくれました。「あっ、これで採用されるな」と感じたとおり、内定を貰えました。その信託銀行には、学校推薦でも2名採用され、2人とも支店長になりました。私も、居ればなれたかも知れませんが、どうでしょうか?

名古屋支店に配属になり、驚いたことに、新入社員でいきなり、日銀から何億もの現金をジュラルミンケースを持って取りに行かされました。もちろん、労務社員の運転で行くのですが。ある日、日銀に忘れ物をして、取りに引き返したんですが、閉店時間がギリギリで、駆け足で帰ろうとして気づかずにガラスのドアというか、壁をぶち破ってしまいました。スローモーションの様にガラスがおちてきて顔中血だらけになったんですが、広い廊下には誰もいなくて、両側の壁の色と同じ色をしたドアがあったのでノックして、やっと開けてくれた日銀の職員の方に、私の第一声が「僕の鼻はありますか?」でした。大したことが無くて、恥ずかしい思いをしたのですが、後日、日銀から果物の篭盛が届きまして、上司に、「日銀に届けるものはあっても貰ったのは初めてだ」と皮肉を言われて、いつの間にかどこかへ消えて私の口には入りませんでした。

 

3 どうにか司法書士に

入社して間もなく、1年後輩の教育学部の女性が独身寮を訪ねてきて、妻ですが、名古屋で教員試験を受けたいというので、私もどうせ3年くらいで転勤だから、静岡で受けるようにと二人で決めました。 都会のサラリーマン生活にどうもなじめそうにないと思っていたところへ、妻は一人っ子ですし、本当のことを言うと、彼女は教員試験は受かりそうだし、しっかり養ってくれそうだったので、浜松で生活できるよう早く準備した方がいいと決断して、8月末で退社しました。5か月で辞めたのです。新卒採用の終身雇用の時代ですので、もはや、大きな会社には入れそうもないので、資格を取って独立するしかないと思い定めて、不動産鑑定士よりも一番独立に向いていそうな司法書士の勉強を始めました。

ここからが、恥ずかしい時代で、静岡駅の隣にある郵便局でアルバイトを始めました。10人ほどで郵便物の袋をトラックに一杯に積み込んで、それから、歩いて先に駅へ行きトラックから荷物を台車に乗せかえて、貨物列車に積み込みます。一日に何回か繰り返すのが仕事です。仕事中にホームで友達と彼女のデートに出くわしたときは、流石に焦りましたね。地下に畳の控室があったのですが、はじめはアルバイトの大学生と思われて、口も聞いて貰えませんでした。力仕事なので一人でも休むと彼らに負担がかかるので、上の階の中間管理職の係長を皆で突き上げました。組合が強かったですね。欠勤の人が出るとアルバイトを頼みに係長が、夜でも下宿に訪ねて来たのです。それに答えているうちに段々可愛がってもらえるようになりましたが。妻の卒業式前の2月に結婚して、私は無職、妻は学生結婚ということになりますが、よく妻の両親が許したなといまでも不思議です。4月から妻が下田の高校に赴任が決まったので、恥かしながらついていきました。その年は準備不足で不合格。幸い翌年2回目で合格しました。静岡県で8人でした。10月から下田の司法書士事務所で研修を兼ねてアルバイトをさせてもらいました。正直に言いますと、その間、県庁も受けて学科は通るのですが、面接で落ちるんです。大学の推薦もありませんし、「下田の土木事務所はどうか?」と聞かれたので、「はい喜んで」と答えれば受かっていたかもしれませんが、早く下田から出たかったので「え、土木ですか」とつい正直に答えてアウトでした。そのせいかどうか分かりませんが、もし受かっていても、どちらの人生が良かったか解りませんが。2年間下田にいて4月から単身浜松へ行くことにしました。結果的に、妻とは1年間別居することになりました。

司法書士会は県単位の強制会で入会しないと、開業できません。4月に入会して、妻の実家の近くに小さな事務所を借りて、晴れて「後ろ指を指されない社会人」になれたのが26歳でした。幸い、事務所のある地域には同業者がいなかったので、1年目から順調に仕事量が増えていきました。8年間ここで基礎ができたので34歳のときに借金して、法務局の近くへ移転しました。後で紹介しますが、司法書士は、主に法務局に書類を提出するのが仕事です。仕事は順調に増えていきまして、平成19年、58歳のとき、法務局、裁判所の移転に伴い、現在の事務所に再度移転しました。平成27年に長男が弁護士として独立して、同じ事務所に入ってくれたので、前田法律事務所として現在に至っています。
 68歳になりますが、仕事を辞めても、退職金は自分で貯めておかなければいけないし、年金も国民年金ですので知れています。毎日、趣味に生きる自信もありません。決まった時間に決まった場所へ出かけていけることは、素晴らしいことかも知れないと思って、仕事のある限り現役を続けて行こうと思っています。 

 

4 司法書士とは 司法書士にできること

私の仕事について話したいと思います。まず司法書士とは、明治5年の司法職務定制のなかの「代書人」がルーツです。弁護士は「代言人」といいました。140年以上の歴史があります。若い人には縁が薄いですが、不動産や会社の登記の専門家というイメージが強いと思います。高度成長期やバブル経済期に金融や不動産に関心が集まって、登記手続の専門家として注目されたからかもしれません。それでも「司法」と名がつくとおり、登記手続だけでなく、本来、いろいろな法律問題に対して、訴訟の関係書類を作成して、本人訴訟を支援してきた歴史があります。努力の甲斐があり平成14年の司法書士法改正で、法務大臣の認定を受けた「認定司法書士」には、簡易裁判所の訴訟代理権が認められました。私も第一回試験で認定されましたが、これで、晴れて、額は少ないですけど140万円以下の民事事件の訴訟代理人になれるようになりました。私の場合は、逆に「中途半端なことができない」と思うようになって裁判所関係の案件は遠慮するようになりました。それから、高齢化社会に対応して、2000年に制度化された「成年後見制度」の専門職の後見人には司法書士の割合が一番多くて弁護士よりも多いんです。

司法書士ができることにはどのようなことがあるかというと、不動産を売買・贈与して所有権を移したい、個人事業をやめ新しく会社を起こしたい、不動産などの遺産を適切に分割したい、親族のいない高齢者の財産管理、借金が返せないので債務整理したい、ネットオークションで買った商品が届かないなど日常のトラブルなど様々な分野でサポートをしています。

 

5 家、土地について

家、土地についてですが、不動産登記とは、土地、建物に関する情報、所有者は誰か、面積はどれぐらいか、担保はついているのかなどを、法務局に備え付けられた登記ファイルに記録して、一般社会に公開して取引の安全を図ろうとする制度です。土地を売りたい、買いたいときは普通、不動産業者(宅地建物取引士という資格者がいます)に依頼して、売買契約書を作成します。当事者だけでも出来ないことはないのですが、売主が大きい土地の一部を売りたい、あるいは買主が正確に測量してから買いたいと思えば、土地家屋調査士に依頼します。農地の場合は、農業委員会の許可が無いと売却できないので、許可申請を行政書士に依頼します。買主が銀行から借入をするするときは、担保を提供する必要があれば銀行と抵当権設定の契約を締結します。売主は、この土地に担保がついていれば抹消できるように、予め担保をつけた銀行と交渉しておく必要もあります。すべての準備が完了してから、代金の支払いと土地の引渡しの決済を同時に行う日を決めて司法書士が立会います。一般には買主指定の金融機関に売主、買主双方、仲介業者、売主に抵当権が付いていればその金融機関が一堂に会して行います。所有権移転登記に必要な書類、買主の抵当権設定登記に必要な書類、売主の抵当権の抹消登記に必要な書類等を預かった上で、私の方でゴーサインを出せば、代金が売主から買主へ支払われて終了します。それらの登記を当日中に法務局に申請します。翌日でもいいのですが、売主の隠れた債権者が差し押さえの登記や抵当権設定登記を先に申請するかもしれません。売主が悪意で二重に売買するかもしれません。あるいは、司法書士のチェックが甘くて書類上の不備があり、申請が取り下げになれば、すべての当事者から「二度と依頼がない」という覚悟が必要です。大金が動きますので損害賠償のリスクもあります。その割には、報酬が低いのは残念ですけどね。後日、法務局から発行される、いわゆる権利書を受領し当事者に返還して司法書士の仕事が完了します。将来、買主がローンを返済したときには、抵当権の抹消登記をすることになります。贈与したいときは贈与税の関係で税理士からの依頼もあります。

家を建てたいときは、知り合いの大工さんや建築士に依頼したり、住宅会社を選択して、まず市に建築確認の申請をします。工事が完成すれば土地家屋調査士に依頼して建物の所在、種類、構造、床面積を調査して法務局に建物表示登記を申請します。最後に司法書士が所有権保存登記の申請をして、建物の権利書を取得します。借入があれば抵当権設定登記もすることになります。

資格業ですので、規則や通達の変更に遅れないよう日々勉強する必要がありますが、自営業ですので、机に座ってばかりでは仕事になりません。先ほどの住宅会社、不動産業者、金融機関、あるいは土地家屋調査士、行政書士、弁護士、税理士等他の資格業の方々との繋がりが必要です。バランスが大切ですが、やはり営業能力の有るものが豊かになると思います。借り入れをして、土地を買う、あるいは建物を建てるとき、司法書士の知り合いがいる人は別として、最終的に司法書士を選択し依頼をしてくるのは、10年ほど前までは金融機関主導でした。地元に友人がいないので、暇なとき、今日は金融機関のどこどこ支店、明日はどこどこ支店と決めて顔を出しました。どこにも既に決まった司法書士がいるのでなかなか仕事を回してもらえませんでした。それでも近くの信用金庫から初めて依頼の電話があったときは感激しました。その支店の次長さんの御恩は今でも忘れられません。その信用金庫のOB30名ぐらいでゴルフコンペを長くやっていますが、OB以外で私だけは、今でも参加させてもらっているんです。時代が変わって、今は金融機関より住宅会社、不動産業者の主導で仕事の依頼が来ます。地元出身者がより有利になったような気がします。弁護士をはじめ資格業の人数が大幅に増員されましたし、将来、定型化された仕事はAIにとってかわられます。銀行員の縮小がはじまりましたし、バルト三国のエストニアには税理士資格が廃止されたと聞いています。司法書士も将来、登記業務が解放されると存在価値が無くなるかもしれません。本当は複雑な登記もたくさんありますが。登記業務で件数をこなす薄利多売の時代は終わったようです。

 

6 相続の基本

相続についてお話します。どなたも将来、一度くらいは経験するかも知れないのが不動産の相続登記です。相続税がかかるかどうか不明な場合が多いので、税理士を経由しての依頼がくるのも一般的です。いくら残すと相続税がかかるか知っていますか?平成27年から相続の基礎控除が少なくなって、3千万円+600万円×法定相続人の数を超えると相続税の申告が必要になりました。3人だと4800万円になります。名古屋国税局管内では相続税の対象者は11%ぐらいだそうです。それまでは5千万円+1千万円×相続人数でした。3人だと8千万円までは申告しなくてよかったのです。

 私たちの実務では、依頼があれば、まず、亡くなった方が生まれてから亡くなるまでの戸籍を全て集めます。法律で定められた相続人を調査確定します。先代の戸籍も取るので戦争や火事で消失している時もあります。同時に市役所で固定資産評価証明書を取り寄せて不動産の調査をします。預金、株式等の聞き取り調査もします。遺言書があれば、その指示に従って登記をします。無ければ相続人全員による分割の協議をしてもらい、遺産分割協議書に基づき登記をします。相続人の一人でも反対して、協議がまとまらなければ裁判所へ行くことになります。調停調書、審判に従って登記をします。こんな時は弁護士からの依頼もあります。

 常識だと言われるかも知れませんが相続の基本からお話しします。概要だけさらっと流しますので、興味があるとこだけ覚えてください。

 

  法定相続人は誰か

配偶者は常に相続人です。夫婦の一方のことです。婚姻届のない内縁関係は認められません。子が第1順位。婚姻関係にない男女間の子(非嫡出子といいます)も相続権があります。養子も実子とおなじです。養子は実の親の相続権もあります。故人より子が先に亡くなっていた場合には、孫がその子に代わって相続人になります。この孫のことを代襲相続人といいます。直系尊属が第2順位。父母、祖父母、曽祖父母。子、孫がいないとき。親等の近い者がなります。兄弟姉妹が第3順位。上記の者がいないとき。故人より前に兄弟姉妹が亡くなっていた場合は、甥姪が代襲相続人になります。代襲は甥姪までです。相続人ではありませんが遺言により財産の受取人として指名された者(受遺者といいます)。それらの誰もいなくて、家庭裁判所に被相続人と特別の縁故があったことを申し立て、それを認められた者(特別縁故者といいます)が相続者となります。

 

  相続財産とは

土地建物や預貯金、株式等プラスの遺産だけでなく、故人の借金などマイナスの遺産も対象になります。

 

  誰にどれだけの相続分か

相続人が配偶者と子のケースでは、配偶者が全遺産の2分の1、子が2分の1。子が複数いれば2分の1を均等に分けます。3人いれば一人6分の1になります。配偶者がいなければ子が全遺産を相続します。 子がいないケースでは、配偶者が全遺産の3分の2、直系尊属が3分の1 配偶者がいなければ直系尊属が全遺産を相続します。子も直系尊属もいないケースでは、配偶者が4分の3、兄弟姉妹が4分の1、原則均等にわけます。ただし、父母の一方が異なる兄弟姉妹(半血兄弟といいます)の相続分は、父母双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の2分の1になります。

 

  遺言について 遺留分とは

読み方は「いごん」「ゆいごん」どちらでもかまいません。遺言には5つの原則があります。民法の定める厳格な方式に従わなければ無効であるという「遺言の厳格性」、必ず書面にしなければいけないという「遺言の要式性」、遺言者の生存中に独立一連の行為として完成させなければならないという「遺言の一連性」、単独で行い一通の遺言書に数人が共同で行うことはできないという「遺言の単独性」、何時でもその全文又は一部を取り消せる「遺言の可動性」の5つです。いわゆる世間でいう遺言、例えば「仲良くしろ」とか「酒を控えろ」こういうものは法律効果をもたらす法律行為ではなく、法律でいう遺言は民法で定めた項目を文書にしたもので列挙されており、それ以外のことは法律効果をもたらす法律行為ではありません。相続分の指定あるいは指定の委託、未成年者後見人又は未成年者後見監督人の指定、遺産分割方法の指定や委託、遺産分割の禁止、遺言執行者の指定又は委託、遺留分減殺(げんさい)方法の指定。これらは遺言でなければできない行為です。一方、遺言でなくとも生前の行為によってでもできる事項もあり、財産処分、嫡出にあらざる子の認知、相続人の廃除又は取消、祖先の祭祀主宰者の指定などがそれにあたります。

遺言の種類について述べてみましょう。遺言の種類には特別方式と普通方式があります。

特別方式には危急時遺言と隔絶地遺言があり、危急時遺言には病気で危篤・災害で重傷・事故で救出不能・今にも死にそうという時などに口頭で行う一般臨終遺言と、船舶遭難で死亡の危急に迫った者が口頭で行う船舶臨終遺言があります。また、隔絶地遺言には伝染病隔離者遺言と在船者遺言があり、この場合には公証人が立合うことはできませんので別の者を証人に立てることになります。                                                     
 大事なのは普通方式。普通方式には自筆証書遺言と公正証書遺言と秘密証書遺言があります。自筆証書遺言は全部自分で書く、日付を必ず書く、氏名を自書し押印する。これだけで自分で遺言はできます。それと公正証書遺言。これは証人2人以上で公証人のところへ行って口述して公証人に作ってもらうものです。最後に秘密証書遺言。これも公証人のところで作りますが持って帰るものです。持ち帰るものですから紛失、隠匿のおそれがありますよね。あまり使わない方がいいかもしれません。

 公正証書遺言を除いて、遺言書の保管者またはこれを発見した相続人は遺言者の死亡を知った後、遅滞なく家庭裁判所に提出して「検認」を受けなければいけません。検認とは、相続人に対し遺言の「存在及びその内容」を知らせるとともに、遺言書の形状、加除訂正の状態、日付、署名など検認の日現在における遺言書の「内容を明確」にして偽造、変造を防止するためです。証拠保全手続なので内容の有効,無効を判断する手続きではありません。公証人に作成してもらう公正証書遺言は、検認の手続きが不要ですし、偽造変造のおそれはなく、公証人が内容を確認しており、後日無効になる心配もありません。安全で確実な方法です。

 遺言はどのようなときに必要かということですが、第一に法律で定められた相続人に遺産を分けてやりたくない、例えば、すでに学費、結婚、新築、商売の資金等を出している、あるいは非行、迷惑行為が激しいなどのときですね。第二に法律で定められた者以外にやりたい又は公共事業に寄附したいときがあります。そして特に遺言を必要とする者はどのような方か例を挙げますと、家業を継ぐ者に全財産を相続させたいとき、夫婦の間に子供がいないが疎遠な兄弟姉妹にやりたくないとき、先妻との間に子のある男の後妻になったが先妻が再婚して別世帯を持ち子も同居しているときに男が死亡すると扶養もしないのに2分の1が先妻の子にいってしまうのでこれを阻止したいとき、先夫との間に子がある女が離婚してこどもを婚家に置いて実家に帰り再婚し




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