「岳陵会カフェ」中止について
2020年度事業として予定しておりました「岳陵会カフェ」につきまして、
コロナウィルス感染拡大の影響による「キャンパスフェスタin静岡」中止の決定に伴い
「岳陵会カフェ」も中止を決定しましたことをご報告させていただきます。
静岡大学岳陵会事務局
2020年6月22日
静岡大学 岳陵会会員 各位
静岡大学 岳陵会
(文理・人文・人文社会科学部同窓会)
会 長 海 野 徹
2020年度 静岡大学岳陵会本部総会中止に伴う議案承認の決定について
6月8日から21日までこのホームページに、総会で必要な議案等を掲載いたしました。14日間掲載しましたが、ご質問・ご意見がございませんでしたので、皆様からご承認をいただいたと受け止めまして、議決したとさせていただきます。どうもありがとうございました。
新型コロナウイルス感染が今後どのようになりますか不安が解消できない状況ですが、会員の皆様、お体にお気をつけ大切になさってください。一日でも早いウイルス感染の終息を願っております。
また、2022年度に旧制静岡高等学校が創立100周年を迎えるに当たりまして、静岡大学岳陵会は、理学同窓会との共催、また石井 潔学長のコメントもいただき、静岡大学後援予定で、100周年記念シンポジウム等を企画しております。
新型コロナウィルス感染拡大の影響により、事業計画をなかなか進めることができない状態ではありますが、「知をつなぎ、新たな100年へ」をテーマに旧制静高、文理学部の伝統を受け継ぎ、未来に向かって静岡大学の発展に尽くす所存でございます。ぜひ、皆様のご理解、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
【報告】
ホームページに掲載しました第2号議案2019年度会計報告及び監査報告(2)財産目録中、しずおか信用金庫と記載してありましたが、しずおか焼津信用金庫ではないかとのご指摘をいただきました。6月8日付け議案は1年間掲載しますので、しずおか焼津信用金庫に訂正いたしました。お詫び申し上げます。
TEL/FAX 054-238-5148
E-mail dousoukai@adb.shizuoka.ac.jp
2020年6月8日
静岡大学 岳陵会会員 各位
静岡大学 岳陵会
(文理・人文・人文社会科学部同窓会)
会 長 海 野 徹
2020年度 静岡大学岳陵会本部総会中止に伴う議案承認について(お願い)
初夏の候、会員の皆様にはご健勝にてご活躍のこととお慶び申し上げます。日ごろは同窓会活動にご協力いただき誠にありがとうございます。
さて、2020年5月1日にお知らせしましたように2020年度の総会(6月7日静岡市内で開催予定)は新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止となりました。
会則によりますと、「事業計画及び予算」(第23条の2)、「事業報告、決算及び財産目録」「監事による前年度の会計監査報告」(第24条)は総会の承認・報告議案です。今年はやむを得ず総会は中止となりましたが、役員で議案のメール審議を行い、役員承認後に総会で承認が必要な前記議案をこのホームページ告知欄に6月8日から21日まで掲載して、会員の皆さまからご質問・ご意見を受け付け、お答えすることで会員承認とさせていただきます。今年は特別な状況による対応とご理解ください。2022年に予定している「旧制静高~静大文理・人文・理学部~創立100周年記念事業」につきましては、コロナの影響で企画委員会が中断して詳細は決まっていませんが、概略の事業図を掲載します。また、会員の皆さまから承認されました後も、この議案は1年間、掲載します。
ご質問・ご意見は原則として、メールかFAXで事務局あてに送っていただき、文書で回答する方式とします。質問用紙をこの欄に掲載します。印刷してご活用ください。質問等に対しては一定期間検討させていただき、回答しますので、ご質問者の電話番号またはメールアドレスを必ずご記入ください。ご質問等の受付期間が終了し、ご質問等のお答えが終われば議案が承認されたとします。
今年8月15日発行予定の機関紙「岳」62号にも例年通り「予算」「決算」を掲載します。
100周年記念事業に関しての記事も掲載しますので、ぜひお読みください。
【ご質問・ご意見受付期間】
2020年6月8日(月)~21日(日)
【受付方法】
メール または FAX
以上、よろしくお願いいたします。
TEL/FAX 054-238-5148
E-mail dousoukai@adb.shizuoka.ac.jp
2020年度 静岡大学岳陵会 本部総会 議事案 ←ここをクリック
ご質問・ご意見 記入用紙 ←ここをクリック
2020年6月7日(日)に開催を予定しておりました「静岡大学全学同窓会2020静岡交流会」及び「岳陵会本部総会・静岡支部総会」につきましては、コロナウィルス感染拡大の影響により中止することが決定されましたので、ご案内いたします。
静岡大学岳陵会事務局
こんにちは! 静岡大学1963年卒業の大村春樹です。
YouTube の「われら若人」、岳陵会の「在学生からのお知らせ」(2019年10月25日)を感慨深く拝見しました。 実は、私はこの歌が生まれた1962年の静大大学祭で工学部実行委員長を務めていましたので、とても懐かしくその当時を思い出しました。
今日はこの場をお借りして、当時の社会や学内状況を知っていただきながら、この歌が誕生した経緯をお話ししたいと思います。
学制改革により1949年静大が誕生して10年余が経っても、日本はまだ戦後の混乱期を抜け出しておらず、私達は新しい社会秩序と経済の早期振興に向けて足掻いていました。
1951年にサンフランシスコ講和条約が締結され、1953年に朝鮮戦争は休戦となったものの、1960年安保条約改定に絡み、日本の国防は如何にあるべきかで社会も騒然、学生達も立ち上がって、当時の日本社会は大きなうねりを迎えていました。
一方で、日本の経済発展のためには科学技術の振興が叫ばれて、大学と産業界が連携する「産学協同」で、大学と企業の共同研究、研究資金への援助、研究/技術者教育の促進などを推進し始めた頃ですが、成果の軍事技術への転用などが心配されていました。
当時、各大学では学生の自治意識が強く、静大も各学部に自治会があって、大学如何にあるべきか、学内の諸問題への取り組み、学生生活の充実などに向けての諸活動をしていました。しかし、静大の4つの学部(当時)は、静岡、浜松、磐田キャンパスに分かれていて、駅弁大学、タコ足大学と揶揄されていたのです。
1962年第13回 静大大学祭では、各学部に大学祭実行委員会が自治会主導で設立され、各学部の委員長が集まって、大学祭のあり方、骨子などを話し合うことから準備はスタートしました。
各学部の大学祭実行委員が集まって各々の考えるところを出し合って得た結論は、次のようなものでした。
「4学部のキャンパスが地理的に離れていて、各学部が研究活動で協働することも難しく、また各学部の学生が気軽に交流して、お互いの考え方や知識を交換し合うことも容易ではない。
特に、これからの時代、学生は単なる専門性だけを追求するのではなく、より広い視野から自分のすべきこと、できることを考えて、勉学、研究することが望まれる。 このためには違った分野の人達との日ごろからの気軽な交流の機会が必要だと思う。
せめて、1年一回の大学祭には全学生が一堂に会し、時空を共有して同じ大学に学んでいることを実感し、出来ればその後、学生間でいろいろな交流ができるようにしていきたい。」
そこで、大学祭実行委員会は「全学の集い」の実現可能性の検討に入りました。 各学部の大学祭の日程も揃える必要がありそうだ。 そしてその最終日が「全学の集い」には適していそうだ。全員が集まれる場所は何処か? そこまで参加者をどのようにして運ぶか? 集まって何をして一体感を出すかなどなど…。
天候のことを考えると、何千人が集まれる場所は静岡の駿府会館(今はありません)しかなさそうだ。 浜松や磐田からの学生はバスを借りきるとしてその費用はどうするか? 学生の一体感を出すには何かが必要だ、そうだ全員でこれからも歌える学生歌などができたら良いだろう、全員で歌おう!
そこで初めて大学側にも学生の真摯な気持ちを伝えて、その可能性を話し、協力を求めました。 大学側もその趣旨、実現提案に賛意を示してくれ、具体化することになりました。
こうして「われら若人」の歌が誕生することになったのです。
私は、公募により「髙嶋善ニ」さん作の歌詞が採用され、当時新進気鋭の作曲家だった石井歓さん(当時桐朋学園大学教授)に作曲を依頼するなどの作業にはあまり関わっておらず、細かい顛末は記憶していません。
私は工学部からの参加者をどうするかに頭を痛めていました。
何人が参加してくれるだろうか? バスは何台頼めば良いか?
バス代として皆からいくら出してもらえるか? 確か実際にはバスは17台、参加者全員から400円宛(当時生協の食事は1日90円)を頂いたと記憶しています。
1962年11月20日から始まった大学祭、工学部では学内を解放しての展示や各種イベントを行い、25日の大学祭最終日バスを連ねて静岡に揃って行き、駿府会館での「全学の集い」で「われら若人」を参加者全員で歌ったのは昨日のようです。
当時の静大工学部男声合唱団のメンバーで同期の清水(淹)氏、桂川氏などによれば、「全学の集い」での発表の何日か前に、文理学部、教育学部の静大グリークラブのメンバーと、合同で静岡に集まり「われら若人」を作曲した石井歓さんから特訓を受けたそうです。「石井先生に強く指導された記憶は鮮明です。そんな歌い方ではだめだと何回も歌い直された記憶です」と。 当時の皆さんは静大OBグリークラブのメンバーとして、今も「われら若人」を歌い続けて下さっています。 (完)
当日の写真;島田氏と筆者 (左)
(付録)「全学の集い」式次第 全ページ