文系の価値を今こそ見直そう8 言語文化学科 宮城嶋遥加さん2

投稿日時 2016-12-16 12:13:49 | カテゴリ: 3.在学生からのレポート(学生レポーター)

こんにちは。学生レポーターの大石 真です。

先日、各学科の学生研究発表会について、お知らせしました。そこで、優勝した人は、学部全体の研究成果発表会に出場することになっています。

 さて、今回は、言語文化学科で優勝した宮城嶋遥加さんに書面ですが、取材してきました。と、その前に、実は、1月にも宮城嶋さんには、取材しましたので、あわせてそちらもよんでみてください。
http://e-gaku.org/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=471

 

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1.研究概要について教えてください。

 ジャン=ルイ・バロー(Jean-Louis Barrault, 19101994)という20世紀フランスを代表するフランス人の俳優を主に取り上げています。『天井桟敷の人々』というフランス映画の超大作があるのですが、彼はその主人公バチスト役を演じています。(『天井桟敷の人々』はツタヤで借りられて、バロー演じるバチストはもう本当に麗しくかっこよいのでぜひ観てほしいです!!笑)

 バローは1960年、1977年、1979年に来日公演を行っていて日本にも来ています。日本滞在中に、バローは能、歌舞伎、文楽を始め様々な日本の伝統的な舞台芸術に親しみます。そのときの印象を『航海日誌Journal de Bord(1960)という本に綴っています。私は、その中の「能」についてバローが書いた文章を細かく読み解き、バローがどのようなフランス語の表現で能舞台の様子や能楽師の動きを表しているのかを分析することを試みています。学生研究発表会ではこれらの分析の一部を紹介しました。

 

2.その研究を選んだ動機はなんですか。

 動機はいくつかあります。

 私は昨年9月に、エレーヌ・ジュグラリスというフランス人の舞踊家について調べ、戯曲を書いて朗読会を開催するという企画を行いました。エレーヌも、バローと同じくらいの時期にフランスで活動していて、フランスで日本の能の存在を知り、自ら研究をして謡曲『羽衣』の上演を大成功させた、という人です。『羽衣』は世界文化遺産三保の松原を舞台とした作品で、三保の松原にはエレーヌの功績を称えた「エレーヌの碑」というものがあります。私は三保の松原のすぐ近くに住んでいるため、エレーヌの存在は幼い頃から知っていて、いつか、彼女の活動や功績について調べたいと思っていました。昨年、戯曲を構成するにあたってエレーヌのことや当時のフランスの状況を調べていく中で、ふと、「なぜエレーヌは一度も観たことがない日本の能にこんなにも惹かれたのか」と疑問に思うようになりました。当時のフランス演劇の流れの中に何かその理由があるのではないか、それを探ってみたいと思うようになりました。フランスにおける能の影響、日本の舞台芸術の影響を調べてみたいと思ったのはエレーヌの存在がとても大きいです。卒業論文で、エレーヌのことを取り上げよう、とも最初は思っていたのですが、卒業論文として成立させるためには、今の自分の資料収集能力とフランス語読解力では文献が足りないのではないかと先生にご助言いただき、エレーヌと同時代に活動し、文献も複数残しているバローを取り上げることにしました。卒業論文での研究を基にして、将来的にはエレーヌのこともしっかりと調べられたらと思っています。

 こちらが、昨年、朗読会を行ったときのチラシです。

 



また、私は演劇がとても好きで高校生の頃からSPAC静岡県舞台芸術センターによく出入りし、フランス語圏の演出家の演劇作品を観たり、自らも出演者として舞台に立ったりしてきました。1月に取材していただいたときに宣伝した「ロミオとジュリエット」や高校生の時に出演した「タカセの夢」など、私が関わらせていただいたSPACの国際共同制作の作品はどちらもフランス語を話す方が演出されていて、どちらの作品にも動き方や舞台装置の中に日本的な要素が取り入れられていました。また、SPACのフランスでの公演はいつも大好評を博しています。フランスにおいて、日本の舞台芸術がどのように観られているのか、おそらく日本とは異なった視点で観られているのではないかと感じ、卒業論文での分析を通して理論的に考えてみたいと思いました。

 

3.この研究でわかったことはなんですか。

 まだ、結論がしっかりと出たわけではないので、上手く正しく言語化することはできないのですが、19世紀後半~20世紀にかけて、フランスにおいて東洋演劇への注目は確かに高まっていたことが分かりました。バローは、自らの演技論として「全体演劇」というもの理念を掲げています。バローは、19世紀~20世紀におけるフランスのスター中心主義的な演劇や心理主義的な演劇を「部分演劇」として否定し、心理と性格とプロットのみで構成された演劇は演劇本来の生命力を喪失していると言っています。つまり、「部分演劇」において俳優は対話、言葉による表現方法しか知らず、人間としての全てで演劇に参加していないという問題をあげています。バローの「全体演劇」の理念の中では俳優は、動作はもちろんのこと、呼吸、感情、舞台上におけるあらゆる要素を用いて動くことが求められます。バローは日本の能を観て、「私の演劇に関する確信はただ証明されただけではなく、よりいっそう強固なものとなったのである 」と述べているのですが、バローにとって能こそが彼の「全体演劇」の理念を具現化したものではないかと私は予測しています。

 言葉による表現が中心であった演劇から何かしらの脱却を図りたい、身体を中心とした演技をすべきだという前衛的な考え方に呼応して、東洋演劇に注目が集まったのだと思っています。

 

4.この分野のおもしろいところはなんですか。

 大好きな演劇についてずっと考えられるところです。演劇がとても好きだけど、演劇について自分が知っていることはほんのわずかしかなくて悔しいと思うことの連続ですが、もっと知りたい、そして、たくさんの創作活動に関わりたいと思うようになりました。

 私は、演出家が、「ゆっくり」や「早く」「きれいに」などの形容詞や副詞一つでは伝えることができない動きのニュアンスを俳優に伝えるときに使う言語表現がとても面白いと思っています。例えば、バローは、能においてワキ方が向きを変えるために回る動作を「万有引力の錯綜した時計機構の中で自らの軌道を探している天上の機械のよう」と表現しているのですが、ただ「回る」という動作がこのように豊かな言語表現につながることがまず面白い、そして確かに、「回る」という言葉以上に動きのニュアンスが伝わってきます。自分が舞台に立つときの身体の感覚や稽古の中で演出家が言っていたことを頭の中におきながら文献を読み解いていくことはとても楽しいです。

 

5.最後になにか一言お願いします

 長々となってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。自分の研究概要や動機をまとめることは自分にとっても、大変有益なことでした。卒業論文の提出、そして1月19日の学部の研究発表会までがんばりたいと思います。

 

追伸

 

ダンス部の自主公演について

 

この場を借りまして、次回、自分が関わります公演の宣伝をさせていただけたらと思います!

私は静岡大学ダンス部というところに所属しており、創作ダンスを中心とした様々な作品を創作し、全国規模の大会や発表会に出場してきました。ダンス部は私が1年生のときに部活として結成され、今年で4年目となります。20172月に、ついに第1回自主公演を開催することができることとなりました。ダンス部がこれまでに創作した作品や、静大祭で踊ったチアダンスなどの作品など盛りだくさんな内容で構成します。また、ダンス部の甲子園とも呼べる大会、全日本高校・大学ダンスフェスティバルにて入選を果たした作品「無言の団欒~イプセン『人形の家』より~」をメインの演目として再演します。この作品はタイトルの通り、イプセンの「人形の家」をモチーフとし、選曲や、家の形をした大道具の制作、衣装の制作、振り付け、演出効果など全て部員が行いました。部員の汗と涙がつまった作品の数々をぜひたくさんの方に観にきていただけたらと思っております。

 

日時:2017219日(日)1430分~(開場は14時)

場所:サールナートホール(静岡駅北口から徒歩5分)

入場無料

お問合せ:静岡大学ダンス部(shizuoka_dance@yahoo.co.jp

 

ダンス部自主公演チラシはこちらです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






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