みなさんこんにちは!
学生レポーターの鷲山です。
桜の便りが各地から届いてますね。静大でも、山桜らしき桜が満開でした。ソメイヨシノはまだ蕾でしたが……。開花が楽しみですね。
さて
今回も静大浜医統合再編についての話題です。
前回は「反対」という立場で記事を書かせていただきましたが、この数日間で「どちらかというと反対」という意見に変わってきました。
よく考えてみれば、情報が不透明過ぎるのです。
これでは賛成なのか反対なのかという合理的な判断が行えません。
前回の記事で、得られた情報からまとめられるメリットとデメリットについて記載しました。
しかし、そのメリットが静大と浜医をわざわざ統合し再編しなければ得られないものなのか、までは分からないのです。
学生に対する学校側からの説明も、メールで送られてきても良いはずです。しかし学生への説明はほとんどなされておらず、Twitterでもそのことを疑問視する声が上がっています。
また、理学部の学生たちが静大浜医統合再編についてチラシを作り、意見をアンケートの形で求めています。学生全体とは言い切れませんが、この件には学生も関心を持っています。学生にも情報を開示することの必要性が、ここにもあらわれているのです。
逆説的に言えば、賛同を得たいのならばクリーンな情報開示を行い、十分な議論を行う必要があるのではないでしょうか。
反対の声の多くは、「静岡側のメリットが開示されていない」「議論が不十分である」の2点に集中しているような印象を受けています。それならばその批判の声に対処すべく、静岡側にメリットがあるのかないのか情報を開示し、全体の納得値が100に近いところに到達するまで議論を行うべきです。
それをしないということは、情報を不透明にしたい何か別の事情があるのでしょうか。
やはり「どちらかというと反対」の立場を取らざるをえません。
その上で、私はこの静大浜医統合再編が、文系学部の予算を縮小させる結果に至るのでは、と危惧しております。
「国立大学の文系学部廃止」
これは私が大学を進学するタイミングで発表されたことでした。
その時のショックを、今でもよく覚えています。
これは多様性が叫ばれているにも関わらず、それを潰そうとする動きだと言い換えられるでしょう。
文学や文化を学ぶことは「自己満足」なのでしょうか?
私は、自分の好きなことを入り口として、たくさんの情報を吸収し、それをレポートやレジュメの形で吐き出す、ということを行ってきました。このようにインプット・アウトプットを繰り返すという意味では、自己の成長に寄与するものだと言えます。またその中で獲得した論理的な思考力は、今後の社会人としての人生にもきっと役立っていくものだと考えています。
あくまで「国立大学」ですから、文系という学問がこの世から消えるという意味ではありませんが、私立大学の学費は、国立大学とは比にならないくらい高額です。私立大学を視野に入れられない家庭にとっては、文系学問での進学という道が断たれる同然でしょう。
人口が減少するから、実務的な学問に人を流す。その思考はあまりに狭隘で浅薄な考えだと、私は思います。誰よりも走るのが速いカナヅチに、泳ぎで世界を目指せというほどの不可解さです。
もし本当に文系学部の予算が縮小されたとしたら、やがて文系学部の廃止へ至ってしまうのではないかと危機感を抱いています。
また、予算の縮小は単に研究にかけられる費用が少なくなることだけを意味しません。
「そんなもの勉強してどうするの?」
という非難の目すら生むことになるでしょう。予算が減らされているということは、価値が認められないと判断されたから、ということができるからです。
私たちの後輩には、誇りを持ってこの学舎で学問に励んで欲しいのです。
だからこそ、この静大浜医統合再編問題が、現状のまま進んでいこうとするのを見過ごすことはできません。
私の特性である「考え過ぎ」が遺憾なく発揮された意見かもしれませんが、1学生の意見として主張し続けたいと思っています。
以上、前回と重複する内容もありましたが、私の意見になります。
それではまた!
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