みなさんこんにちは!
学生レポーターの鷲山です。
本当は、今月19日に開催されましたキャリアカフェに出席し、記事を書かせていただく予定でしたが、体調を崩してしまい、出席することができませんでした……。すみません。
みなさんも、体調管理にはお気をつけくださいね。
そこで、何を書こうかと思い、今までの記事を見返していたのですが、今まで、学生として「外」にある出来事しか書いてこなかったなと思いました。
つまり、体験・経験したことについてとその感想や、学校の環境についての記事が多く、あまり「大学で勉強している学生」の視点が無かったのです。大学は勉強するところなのにもかかわらず(一応)。
というわけで、今回は、「二年間大学生として勉強して考えたこと」を書いていきたいと思います。
↓使っている電子辞書。中国語の授業を受けるときの必需品です
私は、人文社会科学部言語文化学科日本アジア言語文化コース中国言語文化専攻に所属しています。こうやって所属を書くとなんだか難しそうですが、簡単にいうと文学、言語、文化についての勉強をしています。
正直、将来社会に出て役に立たないのでは、というものばかりです。理系の友達や大人の方に
「それを勉強して、どういうところに就職するの?」
とよく聞かれます。
「勉強したこととは全く関係のないところに就職する人がほとんど」
とよく答えます。
私の所属する学科は、社会に役立つことを学ぶところとは言えないのです。
そこで始まる自問自答です
「そんな勉強を続けて、私は何がしたいんだ」
もちろん、好きだから勉強しているのですが、一方でそんなことも考えてしまいます。
現在、人文系の学部へ支給される国の予算が縮小されています。それは、やはり社会に役立つことを学ぶところではないからだと思います。
大学へはタダで通うことは出来ません。国が、親が、お金を払ってくれて初めて通うことができるものです。だから、大学ではそれを社会にリターンできることを、なるべく多く学んでほしい、というのは本当にその通りだと思います。
文学や言語は、「直接的に役立つ」ものにはなれません。
しかし、全く役に立たないものでは、勿論ないと思います。
現在は科学が「絶対」だと思われていますが、時を遡れば、神が「絶対」だと思われていた時代もありました。ガリレオ・ガリレイが地動説を唱え、宗教裁判にかけられたのもそのような理由で、当時キリスト教カトリックで信じられていた「天動説」に反することを言ったからでした。
科学の立場から言えば、正しいのは当然ガリレオですし、科学の知識を知っている現代の我々から見ても、当然ガリレオです。
時代が変われば、世間の「正しさ」も変わるということなのだと思います。
やがて、科学が時代に太刀打ちできなくなる時がくるかもしれません。それがいつになるかは分かりませんが、その時やはり、文学や言語学的視点といった、別の選択肢が残っていれば、救われることもあるのではないでしょうか。
また、文学や言語、文化を学ぶことは揺るぎない1つの答えを追求することではありません。それらは数々の解釈の可能性を秘めています。そのことは、常に矛盾を抱えながら生きる人間という生き物にとっては、1つの確固たる真理を求めることが社会で主流の考え方になったとしても、完全に捨て去ってしまってはいけない領域なのではないかと思います。
つまり、確かに、直接的に社会の役には立たないものだけど、そのようなことを考えるタイプの人間たちがいることで、将来的に、あるいは見えないところで、社会の役には立っていくのではないかな、と思います。
と、テスト勉強をしながら考えるのですが。
こんなことを考えるのは現実逃避の一環なのでしょう。勉強の進み具合は思わしくありません。
来週からテスト週間に入りますので、頑張ります!
↓漢詩の授業のプリントとノート。ただ今勉強中です!
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