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投稿者 : 事務局 投稿日時: 2018-09-28 14:08:36 (48 ヒット)

平成29年度 静岡大学岳陵会 連携講座 第12

 

日  時  平成3019日(火) 1425分~1555

会  場  静岡大学 共通教育B棟 B501

参加学生  人文社会科学部  選択者80

講  師  山口 憲明 様

      総務省 自治行政局 行政課 監査制度専門官

      静岡大学 人文学部 第24回 法学科卒   1992年(平成4年3月)

                  大学院 法学研究科 修士課程 修了  1994年(平成6年3月)

演  題  現代社会の変容とキャリア形成

       - 地方分権の進展から人口減少社会への変化と私の仕事 -

  

皆さん、こんにちは。ただ今、ご紹介いただきました、総務省 自治行政局 行政課におきまして、監査制度専門官をしています「山口 憲明」と申します。どうぞ、よろしくお願いします。今から30年前に静岡大学に入学し、第24回の人文学部法学科卒業生ということになります。

本日の演題は、「現代社会の変容とキャリア形成 - 地方分権の進展から人口減少社会への変化と私の仕事 -」です。このような講演の機会を設けていただき、同窓会や大学関係者の皆様にお礼を申し上げます。

 

さて、本日の連携講座では、皆さんに配布したレジュメに従って、次の5点について、お話したいと思います。

 ① 自己紹介

 ② 地方自治制度への興味

 ③ 恵まれた環境下での学生生活

 ④ あるときは国家公務員、あるときは地方公務員

 ⑤ 皆さんに期待すること

 

では、最初に、自己紹介をします。

1 自己紹介

 

(1)出身は静岡県に隣接する神奈川県足柄下郡湯河原町で、地元の神奈川県立小田原高等学校を卒業し、静岡大学に入学しました。センター試験ではなく、共通一次試験を受けて入学していた世代です。

(2)1988年(昭和63年)4月 静岡大学 人文学部 法学科 入学

      1992年(平成 4年)3月       々       卒業

当時は、一般教養科目と専門教育科目とに分かれていましたが、この共通教育B棟で憲法・刑法・民法を学んだことを思い出しました。第3年次からは、小澤隆一先生の憲法ゼミに所属し、国民主権論や地方自治制度、選挙制度などについて学びました。

(3)1992年(平成 4年)4月 静岡大学 大学院法学研究科修士課程 入学

      1994年(平成 6年)3月          々        修了

この大学院では、行政法を専攻し、まちづくり条例についての修士論文をまとめました。

(4)1992年(平成 6年)4月 自治省に入省

国家公務員Ⅱ種試験(現 一般職試験)に合格し、当時の自治省に入省しました。その後、現在まで、どんな仕事をしてきたかについては、後ほど、お話します。

(5)2016年(平成28年)4月~総務省 自治行政局 行政課 監査制度専門官

監査制度専門官とは聞きなれないと思いますが、都道府県や市町村の監査制度の企画・立案を担当する職で、課長補佐級の地位にあります。なお、総務省とは、皆さんご案内のとおり、2001年(平成13年)に中央省庁改革により、旧総務庁・自治省・郵政省が統合され、誕生した中央省庁の一つです。

 

次に、私がどうして地方自治制度に興味を持ったかについて、お話します。

 

2 地方自治制度への興味

 

(1)皆さんは、毎週土曜日の夜に放送されるNHK総合テレビ「ブラタモリ」の番組を観たことがありますか。この番組では、その町の地理や歴史など紹介し、町の秘密を解く、大変、面白い番組です。私は、元来の鉄道好きもあいまって、各地域の地理や歴史に興味を持っている人間、すなわち、ブラタモリ系統の人間です。

(2)私の出身地・湯河原町は、静岡県・神奈川県の県境に位置し、どちらの県に帰属するかという「熱海市泉地区問題(現在は友好関係にあります。)」が昔からあり、子どもの頃から、都道府県や市町村に関心がありました。

(3)また、湯河原町では土地区画整理事業が盛んに行われ、私の実家が区画整理事業の対象となり、父親が町役場の職員と話し合う場面をみては、まちづくりって、面白そうと、まちづくりにも興味を抱くようになっていました。

(4)さらに、1986年(昭和61年)~1991年(平成3年)のバブル期には、自然の素晴らしい地元の湯河原や熱海、箱根などに、リゾートマンションが、地元住民の反対にもかかわらず、次から次へと建設され、その地域ならではの風情もなくなり、自然破壊も進む現実がありました。何かおかしいことが起きている。なぜ、このようなことが起きてしまうのか、地方自治制度に問題があるのではないかという思いを持ちました。

(5)上記のようなことを通して、良いまちを作るにはどうしたらいいのか、地域のことを地域で決めるにはどうしたらいいのか。そして、そんな地方自治制度にするにはどうしたらいいのか。そのような興味を持つようになったわけです。

 

このように私は、地方自治制度への興味を抱きながら、静岡大学人文学部法学科に入学しました。入学後の学生時代にはどのようなことを考え、どのような学生生活を送ったかについて、次に、お話したいと思います。

 

3 恵まれた環境の下での学生生活

 

(1)少人数で先生と学生が近いことや勉強熱心な先輩に触発され、新法会や模擬裁判へ参加。

・静岡大学では1つのゼミは数名から多くても30名程度の少人数で構成されているのではないでしょうか。都内の私立大学では、1つのゼミに100名を超える場合があるという話を聞くにつけ、静岡大学は落ち着いて勉強できる、素晴らしく恵まれた教育環境にあると言えます。私の所属した「憲法ゼミ」では、10名に満たない程度の少人数のゼミで、議論を深め、多くのことを学ぶことができました。

・また、勉強熱心な、先輩にも恵まれ、先輩との勉強会も行いました。先輩との情報交換や議論で、大いに学習意欲を触発されました。先輩から「・・・という憲法学者は、こんなことを言っている。」「・・・・の本を読んだか?自分の考えとは違うが・・・。」といった会話をよくしました。さらに、「・・・先生の試験の前には、・・・・という有名な先生の本を読んでおくといいよ。」とか、いろいろな情報を頂いて、大変参考になりました。

    ・公務員志望者の多い「新法会」に所属し、主体的に勉強することができました。

・静岡大学法学科の伝統あるイベントである「模擬裁判」にも参加しました。これは法律構成からはじまり、シナリオづくり、役づくりなど学生が自主的に行うものです。当時は「二人の被害者」というタイトルで「駅のホーム上に他人同士の男性と女性がいて、その女性がその男性から嫌がらせを受け、これから逃れようとその女性がその男性を突いたことから、その男性はホームから線路に落ち電車にひかれ死亡するという事件」を取り扱いました。この事件では、女性蔑視の社会風潮への批判を含めながら、誰が悪いのか、この女性の行為は正当防衛といえるのかといったことを裁判する内容でした。現在の私の仕事では、原告になることはありませんが、行政事件訴訟や国家賠償請求訴訟で被告になることがあります。このようなとき、大学時代に経験した模擬裁判が、今でも参考になっています。

・当時と時代状況はだいぶ変わりましたが、恵まれた教育環境は変わっていないはずです。しかも、静岡市が政令指定都市になって当時よりも確実に静岡大学のブランド力がアップしています。こうした利点を活用しないことはもったいないと思います。皆さんは、もっと、自信と勇気を持って、外に向かって行くべきだと思います。

(2)国と地方の関係を上下主従の関係に置く、機関委任事務制度の問題点に気づく。

講義を受けたりしていく中で、我が国の地方自治制度の問題点として、機関委任事務制度があることが分かりました。この機関委任事務制度とは、住民の選挙で選ばれた地方公共団体の首長(都道府県知事、市町村長)を 国の機関、つまり、各省庁の大臣の部下として仕事をさせるという制度です。これでは地域の実情や住民の意思を反映させたまちづくりはできないと考えました。

(3)学部3・4年次には、「憲法ゼミ」に所属。

機関委任事務制度の問題点に気づき行政法を勉強したいと、三橋良士明先生の「行政法ゼミ」に所属しようと思っていましたが、三橋先生がイギリスに留学することになって開講されませんでした。このため、憲法の統治機構や財政法がご専門の小澤隆一先生の「憲法ゼミ」に所属し、国民主権論や選挙制度を学び、地方自治制度を考える基盤づくりをしました。また、憲法のうちの人権や教育法がご専門でご退官後に東京都国分寺市長を務められた山崎眞秀先生にも大変お世話になりました。

(4)静岡大学大学院法学研究科への進学

この頃から研究者を目指すべきか、公務員を目指すべきなのか悩みはじめました。結論は保留にしたまま、地域のことは地域で決めるにはどうしたらよいか、地方自治制度を勉強したいと考え、当時開設2年目の大学院法学研究科に進学し、三橋先生のご指導の下、修士論文のテーマを「真鶴町まちづくりの条例の検討」に決めました。真鶴町は、私の出身地である湯河原町に隣接する人口1万人にも満たない小さな町です。リゾートマンションが乱立し、豊かな自然はもとより地域のコミュニティまでも破壊されていく状況の中で、これに対応するために、平成5年に当時としてはかなり画期的な内容を持つ「真鶴町まちづくり条例」が制定されました。この条例を題材にして、法令に抵触しない範囲で、地域住民の意見が活かされるまちづくりはどのようにしたらよいかという視点で研究をしました。

(5)研究者は難しいということを自覚し、公務員の道を真剣に模索。

修士論文をまとめる中で、研究者になるのであれば、大胆な、新しい、研究者らしい発想があるべきとの思いに至り、これらが自分には不足しており、研究者を目指すことは難しいと自覚するようになり、公務員の道を真剣に模索するようになりました。

(6)地方自治制度を所管する自治省への興味

地方自治制度に関係する公務員としては都道府県職員や市町村職員があるわけですが、当時、地方分権の旗振り役で、内務省以来の伝統を持ち、我が国の地方自治制度を所管する自治省への興味が募りました。国家公務員Ⅱ種試験(現 一般職試験)を受験し、合格した後、自治省を訪問し、たまたま現在所属している行政課で、業務内容の説明を受け、また、自治省に入省すると地方公共団体でも働くことができるという魅力も感じ、就職先を自治省に決めました。このとき、業務説明をしてくださった担当官が、現在の直属の上司でもあります。

 

次に、自治省に入省後、現在まで、いろいろな仕事をしてきました。主にどのような仕事をしてきたのか、お話したいと思います。

 

 


投稿者 : 事務局 投稿日時: 2018-09-26 10:36:11 (46 ヒット)

平成29年度 静岡大学岳陵会 連携講座 第11

 

日 時  20171218日(月)1425分~1545

会 場  静岡大学 共通教育B501

受講生  80

講 師  眞木 万平 様

  静岡県立静岡商業高等学校 校長

(人文学部12回 昭和55年 英文学科卒)

演 題  「 職業と生きがい 」

       ~退職を迎えて想うこと~

 

 

1 自己紹介

 皆さんこんにちは。ただいまご紹介いただきました、静岡商業高校校長の眞木と申します。今年60歳ということで退職となります。38年間の教員生活を振り返りながら、皆さん方にお伝えすることがあればと思っています。

 

2 学生時代の私

 学生時代にはマンドリンクラブに所属し、指揮者を仰せつかっていました。やはり学生時代にはクラブの存在が非常に大きかったなと思います。そこから派生した交友関係とか下宿での友人などを通じて色々なことを学ぶことができたと思います。 

 3年生を過ぎたころから周りの友人たちがいきなり勉強を始めました。びっくりしました。主に公務員試験の勉強をし始めたんですね。彼らにつられて私も採用試験を目指して勉強を始めたことを思い出しました。

 

3 教職を目指した理由

 私は下田で生まれ育ちましたが、下田は観光が主で、それ以外の産業がなかなか無い。そのため周りで一流企業で働くという姿を見たことがありませんでした。

そんな時に友人の下宿に下田南高校の先生が住んでいらっしゃって、よく遊びに行ったんですけど、そんな時先生がギターを弾いて下さり、部屋には本もたくさんある、そんな姿を見たとき小学校2年生の私はかっこいいなと思ったんです。それが教職を目指した一つの理由なのかなとなんとなく思い出します。

 また、高校時代の恩師の影響もあったのかなとも思います。非常に自由な発想をされる方でした。ものの考え方を教えられたと思います。

 

 4 教師になってからの職歴とそれぞれの現場での想い

 23歳から38年間の教員生活を過ごしてきたわけですが、最初の赴任高は三島北高校でした。ここでは全日制と定時制の二つを担当したのですが、若かったのですね全然苦になりませんでした。特に定時制の生徒達は、昼間働いて夜は学校というきつい中でも本当に真剣に学んでいました。生徒の中には家庭環境が非常に悪い生徒がいたのですが、いつもニコニコ笑っているんです。どうしてこんなに明るく振る舞っていられるんだろうと不思議でした。生徒から学ぶことの非常に多かった職場でした。

 昭和58年に新設校の静岡南高校へ赴任しました。新設校では県内より熱心な教員が集められたこともあり、若手の私は先輩たちの後ろからついていくという雰囲気でした。30歳代のバリバリの先輩達から教わったことは「生徒のため」という姿勢でした。また授業指導についても非常に厳しく指導を受けました。若手が足手まといにならないようにとの配慮だったのです。今考えれば、あの時の厳しい指導があったから今の私があると思います。皆さん方にお伝えしますが、“若い時の苦労は買ってでもしろ”というのは将来必ず生きてきます。これは事実です。

 平成2年には新設10年目の庵原高校へ赴任しました。特に驚いたのは生徒の中に新設校の時の先生方の情熱が残っていたのです。不思議な学校でした。その情熱とは新設の時の校長の情熱を引き継いでいるということを後で知りました。 

 平成10年に文科省の派遣でワシントンDCに行くことになりました。全国から10名程の仲間がいました。ジョージタウン大学で1年間学びました。他に日本人留学生もいたのですが、彼らは非常に勉強をしていて、睡眠時間は3時間といいます。図書館は24時間会館されていて、常に学生がいるそうです。今自分の過ごした学生生活を振り返るとじくじたる思いです。

 平成11年には女子高の静岡城北高校へ赴任しました。女子高には女子高特有の指導がありました。決して生徒を人前で怒ってはいけない、プライドを傷つけてはいけない、叱るのではなく説得しなければいけないということを後で知りました。

 平成24年に再び庵原高校へ赴任しました。ここでは校長という立場でした。来年には清水商業との合併を控えていて、非常に小規模な学校になっていました。翌年には清水桜が丘高校が新設されたのです。清水商業高校は非常に部活が盛んな高校でしたので、よく部活動の応援に行き、魅力的な学校づくりに腐心したものです。商業高校と普通科高校の合併なので、統一性を作っていくのに苦労した記憶があります。

 平成28年からは現在の勤務高の静岡商業高校へと異動しました。県内の商業高校の中心ですが、私は商業の教員ではないのでなかなか解りにくいところもありました。また高校野球連盟の会長も兼務しています。会長として高校野球の開会式で挨拶をするという普段では経験できないこともさせていただきました。また同窓会の皆さんが熱い想いを持っているということにも驚きました。

 

5 印象的な出来事

 城北高校に赴任中の話ですが、当時土曜授業が行われていまして国際科の生徒達は茶道と華道の授業があったんですが清掃の間に2人の生徒がいなくなってしまいました。何をしにいったのかというとパンを買いに行ったんですね。私は非常に頭にきて、みんなが掃除をやっているのに何やってんだと叱っちゃったんです。それで一人の子が非常に抵抗感を持ちまして、周りの子達も彼女に同調したんです。私はこの時、2つのことを考えました。ひとつは、「教員も人なんだ。このままだとお前、嫌いになっちゃうぞ」と言おうか、もうひとつは「私にとってお前は大切な子なんだからちゃんと言うことを聞けよ」と。直前までどっちの言葉をかけるか迷っていました。声に出たのは後者でした。その言葉を聞いて同調していた子達はこう思ったんです。この子が先生にとって大切な存在なら私達も大切な存在なんだと。この事件の後はすごくやりやすくなったことを覚えています。

 

6 教職の喜び

 庵原高校で合併直前に、閉校記念に学校を解放するというイベントが行われ、その中で私は20年ぶりに3年間担任をした英語科の生徒達に授業をしたんです。来たのは20人くらいなんですが、その子達あまりに真剣なんですね。彼らは36歳くらいになっていたんですが授業が始まった瞬間、18歳に戻ってしまったようでした。すごく真剣で圧倒される思いでした。強い視線を感じるんです。その時、クラスがまとまっていたのは、私が素晴らしかったのではなく、子供達が素晴らしかったんだと気づかされました。まさに教師冥利につきると思いました。

 

7 キャリア形成へ

 社会学者の宮台真司がこうおっしゃっています。

“人の役に立ちなさい。人を幸せにできない人は幸せになれない”と。

 

8 おわりに

 仕事での悩みやそれ以外で色々と相談できる友人というのは非常に重要になってくると思います。大切にしてください。

 また優れた人は、地位がどんなに高くなっても常に謙虚でいるということを感じます。私がすごく感じるのは、地位が高くなっても常に謙虚でいてくださいということです。皆さんが将来どんなに偉くなっても常に謙虚な気持ちを忘れないでください。

 良い職業を選んで、充実した人生をお送りください。

 本日はご清聴ありがとうございました。

                                   

 (文責: 岳陵会副会長 河本通正 人文12回 経済卒)


投稿者 : 事務局 投稿日時: 2018-09-21 10:32:39 (39 ヒット)

平成29年度 静岡大学岳陵会 連携講座 第10

 

日 時  20171211日(月)1425分~1550

会 場  静岡大学 共通教育B501

受講生  80

講 師  市堀 海 様

      プルデンシャル生命保険株式会社

(人文学部37回 平成17年 経済学科卒)

演 題  「現代社会の変容とキャリア形成」

       ~スカウトマンから見るスカウトしたい人財とは~

 

 

初めまして市堀海(いちほり・かい)と申します。プルデンシャル生命の営業所長の仕事をしています。ちなみにどこかでプルデンシャル生命って聞いたことある人いますか。全くいませんね(笑)。今日のテーマは「現代社会の変容とキャリア形成」ということで、私はスカウトの仕事をしていますので、副題は「~スカウトマンから見るスカウトしたい人とは~」としました。

 ここにいらっしゃるのは1年生、2年生と聞いていますので、就職のことはまだ意識していない人が多いと思います。私は中途採用をスカウトする仕事しています。そういう立場から見て、もし学生さんを採用するならこういう考え方をしている学生さんがすてきだなぁということでお話しします。

自己紹介
 簡単な自己紹介からします。1981年生まれの36歳です。石川県生まれで愛知県春日井市出身、今も春日井市に住んでいます。静大は静岡県内出身の方が多いですね。ちなみに関東出身の方いらっしゃいますか、中部出身の方、関西出身の方、九州、北海道出身の方、(反応を見て)あーなるほど分かりました。静岡大学は総合大学ですからいろんなことを学べる、僕もそういう観点から静大を志望しました。いろんな考え方や出身の方が多い、ここが静岡大学の良いところですね。

 家族構成ですけど、妻、長男でもうすぐ6歳、長女3歳の4人で暮らしています。静岡大学人文学部経済学科を卒業しまして、今の就職先のプルデンシャル生命は2社目です、最初に就職したのは日本生活協同組合連合会というところです。大学内にもあり、全国に生協という組織がありますが、そちらに商品を卸す物流、営業です。

 縁があってプルデンシャル生命に2011年に転職しまして最初は営業職をしていました。6年半ほど営業をしていまして、今年の10月に営業所長になって職種を変えました。202110月からは支社長になりたい、2031年、大体50歳ぐらいから退職までライフプランナーに戻りたいとまあこういうふうに考えております。


本日の概要

本日は、学生時代から前職、転職から現在まで、そして私が転職を経て気づいたこと、こういった私の経験からみなさんにお伝えしたいことをお話ししたいと思います。

 

学生生活

 私は学生生活で勉強、結構頑張っていた方です。単位落としてしまう人がいる浅利先生が講義していたミクロ経済学とかも落とさないように必死に勉強していました。世界経済論が必修科目なのに、2年生で世界経営論を受講していて、これ必修科目じゃないのですね。勘違いしてとっていて最後、4年生で単位を確認したところ必修科目ではないよって言われて4年生の時ダブっています。えー、ここで笑っていただいて(笑い)。勉強頑張ったのに抜けているところがあって4年生2回やっています。

 

もうなくなってしまいましたけど、池田の個人経営のレストランでアルバイトをしていました。大学が終わったら毎日、夏休み中も含めめちゃくちゃ働いていました。稼いだお金でバイクを買って、旅行したり山登ったりしていました。サークルは就職活動支援サークルに入っていました。僕ら1学年前の先輩がこんなサークルを作ってくれました(画面を示して)。就職活動を始めると分かるのですが、静岡大学の学生は関東、関西の学生に比べて結構マイペースですね。スタートが遅れたり、ノウハウが分からなかったりするので、就職が終わったOBOGをお呼びしてどんな就職活動をされていたのか、支援してもらうようにしました。ただ、私は4年生でダブったので支援する方から支援される方になったりして、公私ともにお世話になって今の私があります。

 

入社(前職

 私は大学を卒業して日本生活協同組合連合会に就職しました。就職活動をどのようにしたのかというと、2回目の就職活動だったのです。1回目は教育系の教育教材を作る出版会社に就職が決まっていたのですが、大学を卒業できなかったため、就職できませんでした。2回目はレストランでバイトをしていましたから、漠然と食品業界中心に就職活動をしていました。食べることも好きでしたし、料理をすることも好きでしたし、食品に触れることができたらなあと思い活動していました。飲食店のバイトがきっかけですね。

 

 当時の理念、私が働くとき何を大切にしたいかを結構考えていました。私が働いていたレストランは結構有名で、というより知る人ぞ知るというお店で、よく清水エスパルスの選手がお店に来られていました。俳優の柳葉敏郎さんって知っていますか、知らないかな。ある日バイトに行ったら柳葉さんがいすに座っているのですね、よく聞いたら奥様が静岡の方で、その奥様がレストランをすごく気に入ってくださったのですね。料理がおいしかったので、みなさん喜んでくださった。だから「働くことで笑顔が作れる仕事」をしていきたいと思いました。これが理念ですね、大事にしていました

 

 飲食店のフリーペーパーを作る関東の広告会社「ぱど」なども回りながら最終的に日本生協連に入りました。2回目の就職活動をしているときは「就職氷河期」と呼ばれる時代で本当に内定をとるのが難しい時代でした。今はどうなのですかね。結構いいみたいですね。僕らの時代は本当に厳しくて、エントリーシートを100通、200通出して1社か2社返事がくる時代でした。自分の理念を実現できるならどこでもいい、とにかく内定がほしい。あと条件としては、年収、休み、とにかく働く条件を結構気にしていました。つぶれる心配のない安定した会社、こんなことを考えて就職しました。私のころは就職氷河期、イメージでいうと「寒い」「寒い」と言いながらみんなで暖め合って就職活動をしていました(画面に学生が震える映像)

 

 入社から3年間、物流管理の仕事をして物の流れを覚えて、営業に異動になりました。愛知県出身なので東海エリアでの業務になりました。このとき私に人生の転機が来ます。最初は関東で働いていたのですが、地元に戻って元カノと寄りを戻し、28歳で結婚、29歳でマンションを購入しました。

 

入社から現在まで

 最初の仕事だった前職は全国への転勤がある会社だったのですね。34年ごとに転勤をします。北海道から九州まで転勤するので、家族を振り回すのはどうかなあと思いました。それで転職活動することになりました。業界はもう食品業界にこだわることはなかった。理念は「働くことで笑顔が作れる仕事」で変わっていませんでした。中小企業など回っていろんな面接を受けました。そこで考えたのは、働く場所をコントロールしたい、収入も年功序列のところが多いですが、自分で稼げるようコントロールしたい、時間も会社に寄らない直行直帰など自分でコントロールしたい。そういうことを考えたら会社に就職するよりも、経営者側に回るのが一番早いと思いました。
  小さな会社10人から20人ぐらいでもいい、そこで仕事をしながら経営者側に回るのも良いと考えながら仕事していました。社会人になって67年目、働き方を真剣に考える時期が来ました。働き方を真剣に考えて、どのような働き方をして自分の人生を進めていくか人生についても初めて考えました。いろんな会社の面接を受けながら転職を考えているときに、偶然なのですけれどもプルデンシャル生命の私を採用したスカウトマンから、一本の電話が入ったのです。「市堀さん優秀な方だとお聞きしたので、スカウトしたいのですけど会いませんか??」。ちょうど働き方や人生を考えていたところでしたので、「いいですよ」と返事して会いました。それからいろんなことを考えた結果、じゃあ転職しようかという結論に至りました。

転職の理由
 転職した理由は、今まで就職ではなく就社していたと気づいたのですね。それまでは条件で会社を選んでいた。安定しているとかつぶれないとか、仕事、つまり働き方ではなく条件で会社を選んでいました。就職ではなく就社していた。目の前に会社があるのでお世話になった。29歳の時初めて気づきました。会社に人生を合せるのではなく、人生設計(ライフプラン)に合う仕事がしたい。難しいことじゃないのだけども、ここに気づくのに私の場合、だいぶ時間が経ってしまいました。自分の人生に合う仕事をしたいなと思いました。結婚してこれから子供が生まれてくるなら、こういうふうに暮らしていきたいなと考えました。会社の都合で自分の人生が振り回されるのはちょっと違うのかなと考えました。

現職の仕事
 転職をしましてライフプランナーという仕事を6年半しました。個人、法人の保険の営業、例えば必要保障額の算出やライフプランの設計などです。金融に関わる資格を生かしながらマネーセミナーや営業スキルアップセミナーの講師などもしていました。地元の春日井市や名古屋市で経営者向けの業種交流会を主催させていただいたりもしました。結構楽しく自分のやりたいように仕事をさせていただきました。

 6年半営業をしまして、営業は楽しいなあと思っていたのですが、10月に営業所長スカウトマンという職種に変更しました。仕事は主に優秀な人のヘッドハンティングです。うちは新卒を採用しないのです。入社して10年ぐらいの優秀な人をヘッドハンティングしています。また入社した営業マンの管理、育成の仕事もしています。

 1日の仕事のスケジュールはこんな感じですね。(画面を示して)8時に出社、815分にマネージャーミーティング、10時からスカウトする候補者面談。12時からランチ。14時からお客様訪問と、保険営業で知り合った人からの情報入手、16時からスカウトにTEL、一般的には仕事が終わる18時からまた候補者面談、20時に帰宅。このような流れで仕事をしています。

職種変更の理由
 ではなぜ職種を変更したのか、お話しします。営業を楽しくやっていましたのに、営業所長という管理職に職種を変更しました。実は私の営業所の経営理念は、これですね。「日本の雇用(働き方)に変革をもたらす」。これは、「自分のライフプランに合う仕事を選び、仕事を通じて、自分の本当の夢、(自分の)マイゴールを実現させることができる、そのために学生は勉学に励み、社会人は目標を達成する」ということです、私がスカウトマンとして活動していく中で、こういった思いを実現させるために事務所を経営しています。

 私の就職のイメージ
 なんでこんなふうに考えたのか、まず私自身の就職のイメージからお話ししていきたいと思います。私は学生時代バイトばかりしていたので何がしたいのか分からなかった。今している勉強、今の学生生活が将来何の役に立つのか。私は勉強も結構していた方ですが、ミクロ、マクロ経済が将来何の役に立つのかよく分かりませんでした。今の勉強は将来の仕事にどう結びつくのか分からなかった。本当に真っ暗闇、本当にどうなるのか分かりませんでした。果たして将来、この先に何があるのか。みなさんはまだ就職活動してないのでピンとこないと思いますけど、就職後3040代、どんな自分を想像して今を生きていますか?

 ワーク
 みなさん、「今の夢は何ですか」って質問したらなんて答えますか。社会人10年くらい経験した人に必ず聞いている質問です。今学生さんに質問したらなんて答えるのか興味があります。考えてちょっとノートの端にでも書いてみてください発表してくだいと言いませんから書いてみてください。

(作業中)

 

みなさんいろんな夢があって。どうもありがとうございます。ではもう一つ聞きます。小学校の時の夢は何ですか。幼稚園のときでもいい、子供の頃の夢って何か覚えていますか。これもノートの横の方にちょっと書いてみてください。社会人10年ぐらい経験なる人にも同じように聞いています。30歳ぐらいの人に聞くと、いやぁサッカー選手になりたかったなぁ、宇宙飛行士になりたかったなぁなどと卒業文集に書いたと言っています。みなさんだったら一体何でしょうか。小学生の頃の夢。(壇上から降りて)みなさんの方を見て回っていいですか。

(作業中)


 みなさん今の夢、小学校の頃の夢書いていただきましたかね。今の夢と小学校の頃の夢を書いてもらいましたが、今の夢の方がワクワクするっていう人どのくらいますか。はい、では小学校の夢の方がワクワクするという人。(反応を見て


投稿者 : 事務局 投稿日時: 2018-09-19 15:31:07 (64 ヒット)

平成29年度 静岡大学岳陵会 連携講座 第9回

 

日 時  2017124日(月)1425分~1550

会 場  静岡大学 共通教育B501

受講生  80

講 師  椛田 弘 様  

シティバンク、エヌ・エイ東京支店  

コンプライアンス部門 AMLコンプライアンス部 部長

(人文学部14回 昭和57年 法学科卒)

演 題  「 私のキャリアと学生生活 

 

 

 

みなさんこんにちは。(会場 こんにちは) 今ご紹介に預かりました、シティバンクという所で働いております椛田弘と申します。1982年に人文学部法学科を卒業しまして、今年で35年も経ちます。皆さんの年齢よりも遥かに長い年数社会人をしています。皆さんのお顔を拝見して、大変若いなあと思わず感慨に耽ってしまいました。それではレジュメに従いまして始めさせて頂きます。

 

1.現職務内容について

 

シティバンクについて

 それでは現在の職務の内容につきまして、お話させて頂きます。先ほども申し上げましたが、シティバンクというアメリカの銀行の東京支店で、「AMLコンプラインス部」という部がありまして、そこの部長を2010年から務めており、もう丸8年近くになります。

 シティバンクっていう銀行、アメリカの銀行なんですけども、みなさん名前聞かれたことありますか?聞いたことがあるって方、手をあげて頂けますか?(檀上から学生に質問) あぁ、やっぱりいないか・・・(笑)。

 シティバンクは資産規模で言うとアメリカの銀行の中で3番目の銀行です。1番大きいのが JPモルガン・チェース、2番目がバンク・オブ・アメリカ、そして三番目がシティバンクとなります。2008年に金融危機というのが世界的にありましたけれども、その以前は元気がよくて当時は世界で一番規模の大きかった銀行なんですけども、その金融危機の時に危なくなりまして、結構資産を売却しまして、今は3番目となっております。ただ資産規模は落ちたんですけど、ネットワークは結構なものがありまして、世界の160ヶ国位に拠点があります。国際連合(国連)に加盟している国が約200ヶ国位あります。その中で取引が禁止されている国だとか、後でお話しいたしますが、そういうのを除けばほぼ世界中に拠点があるといえる銀行です。

 金融危機後、随分社員の数も絞りましたけど、それでも今、26万人ぐらいの社員が世界で働いております。

 約200年位の歴史があるんですけども、日本には1902年に横浜に支店を開設し途中中断の時期もありましたが、日本に進出している外国の銀行の中でもかなり古い部類に入ります。

 私もシティバンクに入ってから初めて知ったんですけども、明治時代に日本で初めて建設された新橋から横浜間の鉄道は、シティバンクからの日本政府への融資でまかなわれたそうです。シティバンクの宣伝はこのくらいにしまして(笑)AMLということについて話していきたいと思います。

 

AML = Anti-Money Laundering  マネーロンダリング防止

 マネーロンタリング防止(以下AML)と聞くと、何か遠い話のように感じるかもしれませんが、たとえば皆さんが銀行に口座を開きにいくと、本人確認書類(免許証等)の提出を求められるとおもいます。それがAML防止のまさしく第一歩になります。

AMLに於いてはまず、本人確認が第一。その次にマネーロンダリングの可能性がある疑わしい取引の当局への届け出。昨年日本国でのその届出数は約40万件がなされています。

たとえば振込詐欺。突然電話がかかってきてお金を振り込んでくれないかという詐欺電話。実は私の母も過去5回位そんな電話をうけました。

 もう少し詳しくお話を致します。

 

AMLの4つのピラー

   資金洗浄行為の防止(狭義)

 犯罪(麻薬等の販売)等で得た資金を、そうでないきれいなお金に見せかける行為。麻薬等の売買の資金(汚い資金)は銀行は受け入れてくれません。

1989年 フランスでG7サミットが開催され、AML特に薬物犯罪防止に重点を置いたAMLの組織FATFFinancial Action  Task Force on Money Laundering)がOECDの組織の下に設置されました。本部はパリにあります。

 

   テロ資金供与の防止

2001911日アメリカの同時多発テロ(真珠湾攻撃以来となるアメリカ領土に対する攻撃。しかも世界貿易センタービルや、ペンタゴンというアメリカの経済と軍事力のシンボル・中心部への攻撃)を受け、アメリカ国民は大変驚き、怒りました。その結果、金融界に対して、テロリストに対して資金を与えるなという潮流が世界中に起こりました。それがテロ資金供与の防止と言われています。

 数年前にもパリやニースでテロがありました。多くの方が命を落とされました。そういったテロリストが活動を行えないようにするために資金を断つという目的です。イスラム国などもそうです。こういった話ってなにか遠い外国のような感じをうけます?じつはそうではなくてこの日本にもかつて「日本赤軍」というテロリスト集団がいたんです。テルアビブやダッカでテロ行為を働きました。またオウム真理教の地下鉄サリン事件も国際的にはテロ行為であると認識されています。

 

   経済制裁対応

今最もホットな話題です。そうです北朝鮮です。核実験やミサイル発射が連日ニュースになっていますね。国際社会は北朝鮮との貿易を禁止したり、特定個人の資産を凍結したり資金の移動を禁じています。超大国のアメリカがやっぱり経済制裁対応に於いても主導しています。アメリカの財務省内にOFAC(外国資産管理室)が置かれていて、経済制裁を主導していて、北朝鮮、イラン、キューバ、クリミア、シリア、そういった国や地域との取引を禁じています。

 

   反社会的勢力との取引の排除

 反社会的勢力とは、いろいろな呼び方がありますが、概ね暴力団のことです。現在、日本には暴力団対策法で指定された団体が22団体あります。国際的に見て独特な組織です(規模や種別など詳しく説明)。2013年、みずほ銀行が反社会的勢力との取引の不備から頭取が辞任する騒ぎにまで発展いたしました。実は以下は私のシティバンクへの転職にも影響があった出来事なので詳しくお話させて頂きます。かつてシティバンクも反社会的勢力との取引排除、マネーロンダリング防止をきちんと行っていないとされて、日本の金融庁から「業務改善命令」を受けました。2004年に一回目の命令、そして2009年には二回目の命令を受け、その際は「外部の反社会的勢力との取引排除、マネーロンダリング防止に詳しい人間を採用しろ」とのかなり厳しい指摘を受け、たまたま私が採用されたといういきさつがございます。

 

2.大学卒業後の経歴について

大学卒業後、1982年4月、現在の三井住友銀行に入行し、日本銀行のすぐそばにある日本橋本町支店と、赤坂支店に勤務しました。そこで銀行業務の基礎を経験させてもらいました。その間に語学研修(日米会話学院派遣)に行かせて頂いて英語漬けになりました。その後、国際本部の国際業務部に配属になりまして、その後はだいたい海外に配属されるのですが、私の場合はロンドン証券現地法人に3年間、ロンドン支店にも3年間、通算6年ロンドンで勤務していました。気づけばベルリンの壁崩壊(1989年)、湾岸戦争(1991年)、ソビエト社会主義共和国連邦の崩壊(1991年)、EU統合(1993年)だとかの世界の激動を比較的近い場所で経験することをしてきました。しかしながらやっぱり長い海外での勤務で日本食が恋しくなって(笑)。そうして日本に1994年の12月に戻らせてもらったんです。年が明けた1995年の1月17日。阪神淡路大震災が起こり、翌々月には先ほどもお話に出てきましたオウム真理教による地下鉄サリン事件という、日本もなにか物騒な時代に入ってきたころでしたね。本店営業部に2年勤務させて頂きました。その後1997年また海外の香港支店へと転勤になりました。この年は、香港がイギリスから中国に返還された年です。歴史的な香港返還の前後の時期を経験させて頂きました。香港支店では日系企業に対しての営業活動の統括を致しておりました。その後、私が勤務していたさくら銀行は同じ都市銀行である住友銀行と合併する運びになり、私は日本に帰ってきました。ようやく日本に帰ってこれたと思ったのですが、今度は海外拠点監査の仕事を与えられました。この部署では海外出張ばかりしていました。数年間年間140日間は海外出張していました。1年は365日なのですが、もうほとんど海外にいる体感になりますこれは(笑)

その後2001年に先ほどお話した同時多発テロが発生しテロ資金供与防止の強化が叫ばれるようになり、翌々年の2003年、当時は「三井住友銀行」になっていましたが、銀行全体のAMLを担当することになりました。その後、システムでテロ資金供与やマネーロンダリング行為を発見していくようにアメリカ当局から、日本の3大メガバンク(三菱東京UFJ、みずほ、三井住友)が立て続けに業務改善命令を下されました。

そして、コンピューターシステムで疑わしい取引を発見し調べていくオフィスを立ち上げました。これがマネーロンダリング対策オフィスと呼ばれ、そこの所長を務めることになりました。で、その頃なんですが。ヘッドハンターと呼ばれる人から私あてに電話がかかってきまして、初めは興味がなかったんですが、やっぱり外資系企業の「〇〇」の高さに目が眩んで(笑)シティバンク銀行(当時)に転職してしまいました。

~オフレコにて、給与待遇面でのお話を椛田さんからして頂きました。金融業界更には外資系ならではの待遇面でのお話を頂き、「学生さんにもこういう世界があるんだと知ってもらう機会に少し生々しいお話をさせて頂きました」~ 

  

3.自身の学生生活について

 入学から就職まで

比較的真面目に勉強したかなあと思います。大学の授業にもしっかり出席していました。時々アルバイトをして、3年間で卒業に必要な単位は取れていました。4年生の時はゼミだけ出ているような状況でした。

当初は大学内の片山寮に入りまして、家内ともそこで知り合いました。その後アパートで生活しました。やっぱり法学科だったので、司法試験を目指して受験しました。3年生の時と、4年生の時と2回。司法試験を受ける人の集まり、静法会に入っていました。しかし司法試験は合格ならずの大学4年生の秋、

就職活動の準備は特に何もしていませんでした。みなさん方とは時代も違いますから、最近の「就活」に関しては参考にならないかもしれません。たまたまなんです。クラスメートから銀行のOBが静岡にきてOB面接をやるらしいから一緒にどうだと言われて、じゃいくかと。なにが良かったのかわかりませんけど、次は東京の本店に来い、誘われるがままで。当時は10月1日が解禁日で、その日に銀行に呼ばれて行きますと即拘束されまして(笑)気づけば入行していました(笑)

 

現在役に立っていること

大学時代に学んだ法的なものの考え方です。日本のAMLに関して様々な法律があります。たとえば近年話題になっているテロ等準備罪。この法律はパレルモ条約という国際条約に基づいているんですね。日本国政府の説明によれば条約の条件として、共謀罪の設置が求められていたのですが、過去3回共謀罪に関する法案が廃案になっていて今回ようやく法制化されたわけです。そういった世の中の構造、しくみを法的にとらえることができるのは大学時代に勉強した法律の知識が基礎になっています。それから先ほどお話させて頂いたFATFという組織。ここが世界のAMLの総本山ともいえる組織なのですが、AMLのための世界的な基準づくり、またその基準に則って各国が運用をしているかの審査。その二つがFATFの大きな役割です。過去に日本国は3回審査を受けているのですが結果は散々たるものでした。2001年の同時多発テロを受けてのAML強化の流れから2003年に日本で本人確認法が成立しています。このようにすべてつながっているのですね。2008年のFATFの審査ですが、その審査に合わせるように犯罪収益移転防止法という国内法も整備されてきたのですね。その時期全銀協という全国の銀行の集まりのトップである会長をさせて頂いていたのが私の勤務先である三井住友銀行の頭取であり、私はそこでAMLをやっておりましたので、FATFの審査官の前で日本の銀行はこのようにAMLの対応をしていますよという説明を致しました。その結果が半年位後にきまして、日本の銀行はそこそこやっている、という私にとってはうれしい結果。しかしながら日本国政府はまだ法整備において不備がありますという内容でした。日本国政府のAMLに関する決まりに法的な強制力がなかったんですね。それを受けて犯罪収益移転防止法は以後2回改正をされました。その間にFATFは更に上のレベルでの審査体制になっていて、その審査が2019年に控えています。かなり厳しい要求を突き付けられると思われます。日本の銀行界、政府でも危機感を持って対策をしていまして、どうも金融庁でもAMLに関する新たな監督指針を発表するようです。実は私明日金融庁に呼ばれていまして、その件での相談を持ちかけられるようです。年明けの実施になるみたいです。

官庁からの相談で言えば似た話が過去にもありました。2006年北朝鮮による核実験やミサイル発射が立て続に起きた時期の話なんですが、今でこそ「この送金は北朝鮮とは関係ありません」と海外送金の際には宣言させられるしくみになっていますが、当時はありません。財務省から呼ばれてそういった仕組みを銀行業界に導入できるか打診を受けたことがあります。これに関してはやることはできます、と回答しました。しかしながらこれが大事なのですが、この宣言に関して顧客側のdeclaration(宣言)のみにしてくれということを伝えました。つまり本当にその送金が北朝鮮に関係がないかということを、銀行が確認する必要がないという条件にしてくれと。そうでなければとても実務上まわらないと。こういった法的な関係性の見方なんですけども、それが大学時代の勉強が基礎になっていて、それが非常に役に立っているというお話です。大学時代に個々のこういった法律を学んだ訳ではありませんがその基礎となる権利・義務関係の法的関係の基礎知識が生きています。

 

4.学生の皆さんに伝えたいこと

みなさんに伝えたいことを偉そうになんですが(笑)いくつか書いてきました。

・いろいろなことを経験しておくといい

 先般の同窓会誌「岳」でのインタビューでもお話させて頂いたことなのですが、学生のみなさんはいろいろなことを経験しておくといいと思います。そもそもなんで私がAMLの仕事を任せられるようになったのか。銀行で人事の人に聞いたことがあります。そうしたら「あなたは大学時代に刑事訴訟法ゼミだったでしょう」と言われました。たしかにAMLと刑事訴訟法は近いと言えば近い。そんなきっかけなんです。なにが言いたいかと申しますと、人間何がどこで役に立つかわかりません。ましてや若いみなさんは大きな可能性を持っていらっしゃる訳ですから、いろんなことに挑戦して行ってもらえればいいと思います。

 


投稿者 : 事務局 投稿日時: 2018-09-14 11:20:14 (47 ヒット)

平成29年度 静岡大学岳陵会 連携講座 第8回

 

日  時  平成291127日(月) 1425分~1555

会  場  静岡大学 共通教育B棟 B501

参加人数  80

講  師  横山 武蔵 様

       名古屋市消防局 消防官

       人文学部 第43回 経済学科 2011年(平成23年3月)卒

演  題  「わたくしの職業紹介 - 消防官(Fire Fighter) -」

  

 皆さん、こんにちは。私は、ただ今ご紹介にあずかりました、皆様の先輩に当たる「横山 武藏」と申します。

 ところで、私は、皆さんの先輩と言っても、大学卒業後6年の身で、しかも、今まで講演した経験もなく、大変、緊張をしています。

 本日、私のお話しする内容は、私の今までの実体験を通して感じたこと、学んだことです。このお話しを通して、皆さんの社会人としてのぼんやりとしたイメージが少しでも明確になって、参考になれば幸いです。

 

1 自己紹介・大学生活・就職について

 

(1) 自己紹介

① 静岡大学人文学部 第43回 経済学科 2011年(平成23年3月)卒

② 現在、27歳、昨年結婚し1歳の息子のいる父親です。

(2) 大学生活

① 部活動は体操競技部で、4年間、部活動に没頭。

② アルバイト先は、喫茶店、ラーメン屋、家庭教師、ガソリンスタンド、清掃など、

いろいろでした。いろいろな経験は、いろいろなことを学びます。

(3) 就活

  ① 志望先

名古屋市消防局、愛知県警、警視庁の3つを志望し、この3つのみ受験した理由

   ・当時、世の中が大変不景気で、就職率がとても悪かったので、安定している公務員に魅力を感じていたこと。

・もともと身体を動かすことが好きで、身体を思い切り動かせる仕事に就きたかったこと。なお、その中でも、消防官になることを第1志望としていた。

② 就職対策

・大学での公務員講座に参加し、勉強した。

・採用試験の過去問を何回も何回も繰り返しやった。

 

  ところで、私は消防官になったわけですが、皆さんは「消防」と聞いて、何をイメージしますか?今からいくつかの写真をパワーポイントで提示しますので、自分の思っている「消防」のイメージでしたら、挙手してみてください。

① 火事現場の写真提示 → 火事と思う学生は?

② 救急現場の写真提示 → 救急と思う学生は?

③ 救助現場の写真提示 → 救助と思う学生は?

④ ムキムキマッチョメンの写真提示 → (笑い)

この結果、皆さんが持っている「消防」のイメージの多くは、「火事」だということが分かりました。では、次に、消防の仕事についてお話しをします。

 

2 消防の仕事について

 

(1) 消防の任務

消防の仕事の定義として、「消防組織法 第1章 総則 第1条」に明記されている条文は次のとおりです。

  消防は、その施設及び人員を活用して、国民の生命、身体及び財産を火災か

 ら保護するとともに、水火災又は地震等の災害を防除し、及びこれらの災害に

 よる被害を軽減するほか、災害等による傷病者の搬送を適切に行うことを任務

 とする。

 (2) 消防の階級

例えば、「消防士」は職業でなく、消防の1つの階級です。階級制度のある思い

つく組織は、消防、警察、自衛隊、・・・・・・・。

ところで、消防の階級制度は、次の10通りです。

     消防総監  →  消防司監  →  消防正監  →  消防監

           →  消防司令長 →  消防司令  →  消防司令補

           →  消防士長  →  消防副士長 →  消防士

(3) 消防署の組織

    名古屋市消防局は、消防局、16の消防署、44の出張所などからなっています。

 

 

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